■節子への挽歌1420:気分を変えないと挽歌が書けなくなりそうです
節子
夏祭りの季節です。
先週は近くの八坂神社、今週は柏のお祭りです。
まあ私はお祭りとは縁遠くなってしまいましたが。
世間は「夏休み」です。
夏といえば、出かける季節です。
娘たちが小さな頃は、毎年、山や海に行っていました。
娘たちが大きくなってからは、夫婦で節子の実家や姉が嫁いでいる福井に出かけていました。
節子がいなくなってからは、ただただ暑いだけの季節になりました。
この数年、夏はいったい何をしていたのでしょうか。
あまり記憶がありません。
節子がいないと、こんなにも生活が無意味なのかと驚くほどです。
しかし、伴侶を失うとこんなにも崩れてしまう人生とはいったいなんのなのか。
自らの怠惰さをすべて節子のせいにしているのではないか。
そんな気もします。
このままだと、私もあの時に終わったといってもいいでしょう。
それにしては、まだ仕事をしたいなどという未練はどこから出てくるのでしょうか。
どこか潔くない自分を感じて、自己嫌悪に陥りそうです。
誰かと会っていると元気になるのは、「見栄」なのかもしれません。
来週こそ、この状況から抜け出ようと思います。
そうしないと、この挽歌もなかなか書けなくなるような気がしますので。
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