■節子への挽歌1419:寝相
節子
昨日は挽歌を書かなかったので、今日は2つ書きます。
ともかく挽歌ナンバーを、節子を見送った日からの経過日数に合わせておきたいためです。
とても暑い毎日が続いていましたが、昨夜はむしろ肌寒い夜でした。
私は、節子がいなくなってから寝室のドアは開けて寝るようにしています。
そのためどこからか風も入ってくるのです。
しかし暑い毎日だったので、薄い肌掛け布団しかありません。
そのため寒くて何回も目を覚ましました。
そこで思い出したのが、寝相の話です。
私は寝相の悪い人で、節子は寝相のいい人でした、
節子は寝た時と同じ状況で朝、目を覚ますのです。
薄いタオルケットでさえ、節子には朝まできちんとかかっているのです。
私は厚手の布団でさえ、ベッドから落としたり、縦横が変わったりするほどですから、軽い布団だとすぐに足やお腹がでてしまうのです。
節子が隣に寝ていた時には、節子の布団を無意識にとってしまっていたこともあります。
それに節子が横にいれば、そうそう大きく動けるわけでもありません。
しかし今は2つのベッドを一人で使っているので、縦になっても横になっても大丈夫です。
しかし掛け布団はそういうわけには行きません。
どこかにいってしまうのです。
寒くなって目を覚ますと、節子が薄いタオルケットを見事に全身にかけて安眠していることがよくありました。
私にとっては、それはそれは感動的でした。
節子がいれば、掛け布団がなくなったので貸してくれないかとか、寒いのでどうにかしてよ、と頼めるのですが、節子がいないのでまあ考えることしかできないわけです。
それで、昨夜は目を覚ますたびに、節子はどうしてあんなに動かずに寝ていられたのだろうと考えていました。
もちろん答は見つかりません。
しかし節子の寝姿は、とてもきれいでした。
もうそれも見ることはできません。
そう思うと、ますます寝苦しい夜になってしまい、昨夜は寝不足になりました。
今夜はちょっと集めの掛け布団をつかうことにしました。
一人でも眠れるでしょう。
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