■欲に目が眩んだ経済
ガリヴァー旅行記を書いたジョナサン・スウィフトの人間的な評価はひどいものです。
中野好夫訳の同書の解説で、私はそれを知りました。
ガリヴァー旅行記もまた、持って行き場のないスウィフトの厭世観をぶつけた作品だったようです。
前半の小人国や大人国の渡航記はともかく、宮崎駿のアニメのタイトルにもなった、ラピュタの話から始まる後半のわけのわからない話からはスウィフトの失望感がたしかに伝わってきます。
英国の美風がくずれていく先にある世界を呪いながらも、自らもそれにまみれていることを、スウィフトは知っていたのでしょう。
みんな「欲に目が眩んで」せっかくの人生を貶めてしまうのです。
すべては、人が「欲」を持つ手段として「蓄財手段としてのお金」を発明したことから始まったのかもしれません。
ある意味では、近代西欧とは「欲に目がくらんだ時代」なのかもしれません。
そして、今の日本は、まさにその頂点にあるような気がします。
玄海原発が運転再開に向けて動き出しています。
菅首相は自然エネルギー派だという人もいますが、バカもほどほどにと思います。
人の考えは「言葉」ではなく「行動」に現れます。
それはともかく、今この時期に原発運転の安全を保証するなど「ありえない話」だと私は思いますが、何が何でも原発を推進していきたいという菅首相の欲が、そうさせているのでしょう。
この時期に、原発運転の再開に加担した人たちは、欲に目が眩んだとしか思えません。
欲は伝染するものです。
町長にも知事にも、そしてマスコミにも。
海外とのあまりの違いには驚きますが、これが日本の本質なのかもしれません。
原発の運転再開がなければ、経済が回らなくなるという人がいます。
「欲に目が眩んだ経済」は回らないほうがいいと私は思いますが。
原発の運転をもし再開するのであれば、「安全ではない」ことをしっかりと前提において、そのリスクをとる覚悟がなければいけません。
もし万一、事故が起こったら、運転再開を認めた住民たちがまずは責任を取るべきです。
その時になって、誰かに保証してもらおうなどという無責任な考えは捨てるべきです。
福島原発事故から学ぶべき事はたくさんあるはずですから。
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