■節子への挽歌1406:たねやの水羊羹
節子
節子が好きだった、たねやの水羊羹を供えました。
ユカが買ってきたのです。
たねやは滋賀県近江八幡に本社があります。
節子が元気だった頃(といってももう闘病中でしたが)、私たちの共通の友人知人たちと近江八幡で会ったことがあります。
その時は節子の体力はかなり落ちていましたが、とても元気でした。
節子はどんな時も、いつも明るく元気でした。
いまNHKの朝のドラマ「おひさま」の主人公、太陽の陽子と同じくらい、私をいつも元気にしてくれていたのです。
私が、いまのように明るく楽天的になれたのは、節子のおかげです。
明るく元気な節子が、私は大好きでした。
みんなで食事をした後、私は会社時代の先輩と陶器を見にいきましたが、節子は近江八幡に住んでいる友人の勝っちゃんたちとたねやでお茶をしたはずです。
そのころはまだ、たねやは今ほど首都圏では有名ではありませんでした。
たねやは和菓子も洋菓子も美味しいですが、以来、勝っちゃんは節子に毎年、たねやの洋菓子を送ってきてくれました。
ユカもそれを知っていて、高島屋でたねやを見かけて買ってきてくれたのです。
節子と一緒に食べたたねやのお菓子はいつもおいしかったのですが、今日の水羊羹はちょっと物足りませんでした。
しかし、これはたねやさんの問題ではなく、節子がいないためであることは間違いありません。
涙が口に入ったわけではないのですが、いろいろ思うことも多く、味覚がおろそかになってしまいました。
表現が難しいのですが、「遠いところの水羊羹」を食べているような気がしました。
美味しさの半分を節子が持っていってしまったのかもしれません。
節子がいない節子では、お菓子の味さえ変わってしまうのです。
節子がいなくなって1400日以上経っているのに、今でも時々、ふと思います。
なんで節子はここにいないんだろう、と。
いまも節子に惚れこんでいます。
困ったものです。
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