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2011/07/03

■なぜ誰も辞表を出さないのか

日本の政治状況はますます悪くなっているような気がします。
菅首相に対する評価は日ましに悪化しているようですが、しかしだれも辞めさせられません。
閣僚になかにも批判的な発言をする人が増えてきました。
いまでもまだ、「ほかに誰がいるのか」などという人がいますが、まだ思考の呪縛から解放されていないとしか思えません。
問題の設定が間違っています。

しかし、これほどみんなが辞めるべきだといっているにも関わらず、本気で辞めさそうとしている人は見当たりません。
テレビで発言している人たちは、発言だけしかしないのでしょうか。
彼らの影響力を持ってすれば、横につながったら、いくらでも行動は起こせるはずです。

閣僚もそうです。
批判的な発言をしている閣僚は、即刻辞表を出すべきだと思いますが、誰も出しません。
その気がないなら、批判などするなと思います。
辞表も出さずに閣僚でいつづけることは菅首相と同じ仲間だということです。
本気で生きていない人が多すぎます。
納得できないことは続けるべきではありません。

そんなことよりも、まずは東北復興だという「大義名分」がよく語られますが、順序を間違ってはいけません。
首相とは、国政の最高責任者です。
首相を信頼できる体制を組むことが、すべての始まりでなければいけません。
私には、そんなことは「いろはのい」だと思います。
予算や制度や構想をいくらつくっても、それを生かすのか殺すかは首相次第です。
財源がないなどと馬鹿なことを言う人が多いですが、お金は人間が創る制度の一つでしかありません。
それに日本には、企業や個人が有り余るお金を抱え込んでいるのです。
国家予算を作らないと財源がないなどという、高利貸しのような発想は捨てなければいけません。
社会を変えていくのは、人間であって、お金や制度ではないのです。
お金に魂を売ってしまった人たちが、あまりにも多すぎます。

と、思い続けていましたが、国家政府がないほうが「新しい国のかたち」が生まれるためにはいいのかもしれないという思いになってきました。
さらにいえば、これを契機に「廃県置藩」がなされるかもしれないとさえ思います。
まあ、それは夢のまた夢ですが。

国家はパラダイムシフトすべき時期に来ています。
官僚や政治家を養うために国家があるわけではないのです。
そろそろ日本人も「お上依存」から抜け出さないといけないのではないかと思います。

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