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2011/07/26

■いまは岐路なのか

東日本大震災は未来に向けての岐路になるように思っていましたが、必ずしもそうではないようです。
いろんなメーリングリストを通していろんな話が流れてきますが、大きなパラダイムシフトを感ずるものは次第に少なくなってきています。
フェイスブックでのみんなのやりとりを読んでいると、あまりに平和すぎて驚きます。
何も変わっていないのかもしれません。

たとえば、被災地の食料品を買おうという支援の呼びかけが大型店舗でも行われていますが、
その一方で、流通業者が被災地の生産者の商品を買いたたいているという話もあります。
事実、被災地産の食材は概して安くなっている気もします。
支援するなら高く買うべきで、大型流通業者は「被災地産」のシールを貼って、支援地支援費として1割高く価格設定するのがいいように思います。
そうしないと「被災地支援」が販促材料に使われてしまうだけになりかねません。

「エコポイント」の再開もまた検討されていますが、
いうまでもなくエコポイントは販促運動であって、エコ活動ではありません。
クールビズも同じです。
こうしたことは始まった頃に書いていますので、繰り返しませんが、要するに生産活動を活性化するための、つまりは環境負荷を増大させる活動です。
そこにはパラダイムシフトはありません。
同じように、今回の「東北支援」も、結局はみんな自分たちの此れまでの活動を発展させたいだけなのではないかというような気もします。
活動している人たちの「善意」はもちろん受け止めての話です。

神戸の西側に住んでいる人からは、こんなメールも流れてきました。
「神戸の西側は、老齢ゴーストタウン化しています。震災復興の美名の下、行政が役に立たないハコモノ建設に邁進し、人間復興を忘れたためです。」
この人は、同じようなことが、その何百倍の規模で起こることを危惧しています。

被災地では、新しい活動も始まっていますし、これまでとは違った企業の活動も見られます。
しかし、同時に、被災状況をビジネスチャンスと捉えての、これまでの延長での活動もあります。
現実を考えれば、これまでの延長での取り組みが復興にとっても即効性があるかもしれません。
しかし、それではこの大事件を岐路にはできません。
あれだけの犠牲者の霊が報われないような気がします。

放射能汚染をした食材を、東電の社員が食べるべきだなどという「憎悪の発言」も、時にまわってきます。
大震災からは何も得ていないのだなと悲しくなります。
こうした「憎悪」や「対立」の世界から抜け出なければ、この大震災を新しい世界への岐路にはできないでしょう。

最近の世界は、ますますよどんできているようで、生き辛くなりました。
私自身の気持ちも、今までになくよどんでいます。
最近、どうもこのブログを書けずにいますが、よどんでいる自らをさらけだすのが恐いからかもしれません。

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