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2011年8月

2011/08/31

■節子への挽歌1459:五弦琵琶

節子
塚谷誠さんが、2作目の句集「五弦琵琶」を送ってきてくれました。
私は俳句にはほとんど興味がないのですが、書名の「五弦琵琶」に引き込まれました。
そして、いつもなら後回しにするのに、いくつかを読んでしまいました。
塚谷さんの、その後の世界が彷彿とします。

節子も2回ほど、塚谷さんに会っています。
塚谷さんは、その後も会うたびに節子の話をしてくれました。

塚谷さんは、私が勤めていた東レの先輩です。
全くの分野違いでしたので、会社時代は時々、お話を訊きに行くという程度のお付き合いでした。
私が会社を辞めてしばらくしてから、突然に連絡があり、湯島に来ました。
その時は京都の会社の社長でした。
そういえば、その会社は空海の立体曼荼羅のある東寺の近くです。
塚谷さんは、毎朝、当時の境内を通って出社していたとお聞きしています。
またもや空海がらみですね。

塚谷さんは、新しく経営を任された会社の再建に取り組みたいので協力してほしいとお話しされました。
私が東レ時代に取り組んだ仕事を評価してくださってのお話でした。
引き受けさせてもらいました。
それが塚谷さんとの新しいお付き合いの始まりでした。

会社再建は見事なほどに成功しました。
私の役割はほとんどなく、塚谷さんの理念と思いが、再建を可能にしたのです。
節子が元気になっていたら、京都で塚谷さんに再会して、きっと美味しい食事をご一緒できたでしょう。

五弦琵琶という書名は、昨年の正倉院展で塚谷さんが出会った聖武天皇遺愛の螺鈿紫檀五弦琵琶に由来するそうです。
私は、螺鈿紫檀五弦琵琶は写真でしか見たことはありませんが、実物を見たら引き込まれるかもしれません。

塚谷さんは会社を引退されてから俳句を始めました。
それにしては見事です。
師の塩川雄三さんもほめています。
会社時代の塚谷さんからは思いもしませんでしたが、塚谷さんは文学青年だったのです。

節子は病気になってから俳句に興味を示しました。
そういえば、ずっと前に黛まどかさんが湯島に来たことがありますが、それを契機に俳句に興味をもったようでした。
しかし、その直後に発病してしまったのです。
少し元気になってから、旅行先で、時々、できたといって、私に俳句を聞かせました。
節子は気に入った景色を見ると、スケッチをしたりするのが好きでしたが、そこに俳句が加わったのです。
しかし残念ながら、その期間は短く、作品はたぶん残っていません。
富士山が見える元箱根の恩賜公園で節子が句ができたといっていたのを記憶していますが、句までは思い出せません。
私の誠意のなさがわかります。

塚谷さんの句です。

曝涼の館に聴けり五弦琵琶
涼しさが実感できます。
彼岸も見えます。

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■フェイスブックがつくりだす受動的な情報環境

またこの数日、フェイスブックに情報発信していました。
気がついたら、時評に書くような小難しいことを長々と書いていました。
TPPの話とか、民主党政権の話です。

そしてハッと気づきました。
フェイスブックであまり議論している人はいないということに。
それで

最近うっかりフェイスブックに生真面目に書きすぎています。
興ざめですね。すみません。
明日から少し自重して、思いはブログに書くことにします。
ブログは配信されないので、迷惑をかけませんし。
と書きました。
「いいね」と言ってきた人もいましたが、
続けろという人もいました。

その一つがこれです。

FBに書いてください。興ざめなんかしません。
べつに軽い挨拶をするためにFBがあるわけでもないのですから。
だれもめいわくなんかいたしません。
プログを開けるのがかえって面倒くさいです。
FBはフェイスブックのことです。
これを書いてきてくれた方は、私の友人の友人で、私自身はまだ面識はありませんが、いろいろと私の記事に反応してくださる方です。
とても誠実に生きており、しっかりと社会に関わっている方のように思います。
その書き込みを見て、FBの落し穴に気づきました。

FBは開かれた情報世界の入り口です。
しかし基本的には「受動的な情報環境」だということです。
そもそも情報を入手するためには、それなりのコストとエネルギーがかかります。
しかしFBからの情報は自然に入ってきます。
もちろんそれなりの働きかけがないと入ってきませんが、基本的には受動的な情報環境をつくります。
その落し穴に気づいたのです。
中近東ではFBが革命を起こしたといいますが、もしかしたらあれは単なるモッブ騒ぎだったのかもしれません。

ツイッターは私にはまだ違和感がありますが、両刃の剣だと改めて思います。
誰かの情報をフォローしている人生は私の生き方ではありませんし、情報を拡散するような存在にはなりたくありません。
ツイッターで、情報拡散という文字に出会った時の違和感は今も鮮烈に残っています。
どこかおかしさを感じています。

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2011/08/30

■節子への挽歌1458:大師堂

空海で思い出したことがあります。

滋賀県高月町の節子の生家の近くに「大師堂」があります。
弘法大師(空海)への信心の厚い人が集落の人たちに呼びかけて、20年ほど前に建立したのです。
とても立派なお堂です。
そのあたりは浄土真宗なので、なぜみんながお大師様を信仰するのか理解できませんでしたが、おそらくそれらは次元の違う話なのでしょう。
その大師堂の建立には、節子もわずかばかし寄進したのですが、当時、私はその意味がわからず、無関心でした。
大師堂が完成してからは、帰省するたびに節子と一緒に大師堂にお参りに行きました。
そこは村人たちの、いわばサロンの場なのです。
いつもいくとだれかがお参りしており、話が始まります。
面白い空間です。
節子のおかげで、私もお参りさせてもらえました。

大師堂の壁には寄進者の名前が掲示されています。
節子の名前も書かれています。
私の理解が深ければもう少しきちんと寄進したのですが、当時はまだ私はあまり関心がなく、そうした動きにも関心がありませんでした。
ですから節子から話があったときにも、いいんじゃないのと、あまり気乗りしない返事をしたのではないかと思います。
節子の思いに応えてはいなかったかもしれません。
ですから節子は心ばかりの寄進に留まったのだと思います。
しかし帰省すると節子は必ずその大師堂に私を誘いました。

その大師堂にも、私はもう行くことはないでしょう。
そこで初めて出会った村のおばあさんたちと話している時の節子は、私には輝いて見えましたが、その節子を思い出すのは、いまの私にはちょっと耐えられそうもないからです。
そういう場での節子は、なぜかいつも輝いていました。
そう思うと、節子とは一体なんだったのだろうかと、ふと思うことがあります。
平凡すぎるほど平凡で、才も色もあんまり持ち合わせていなかったと思いますが、私には特別の存在だったのです。

人は、だれかとの関係において、輝いたりくすんだりするものです。
才も色も、個人の中にではなく、関係性の中に存在するのかもしれません。
節子のことを思うとき、いつもそう思います。
節子は私だけに輝いていたのかもしれません。
私も、たぶんそうだと思います。
私のことを心底知っていたのは、節子だけだったように思います。
自らを知る者がいる時ほど、がんばれることはありません。
最近はあんまりがんばれずにいます。
困ったものです。

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2011/08/29

■「僕が政治家になったわけ」

今日は民主党代表選だったので、予定を変更してもらい、終日、わが家でテレビを見るつもりでした。
10時半くらいから見始め、11時からの5人の候補の演説はすべて見ました。
しかし、「青年の主張」のようで、退屈で、途中からフェイスブックでそうした感想を流しながらの、いささか真面目さを欠く視聴態度になっていきました。
一緒にテレビを見ていた娘は、まるで「僕が政治家になったわけ(理由)」のスピーチコンテストだねとか、中学生日記みたいだとか、私よりも辛らつでした。

予想通りの2人が残り、決選投票になりました。
その段階で、多分ほとんどの人が野田さんが勝利すると思ったと思います。
野田さんも、それを確信していたような力強いスピーチを最後にしました。

そこであまりにも退屈なテレビを見るのをやめましたが、しばらく外出して戻ってきたら、予想通り野田さんが代表になっていました。

またしても小沢さんは間違ってしまったわけです。
よりによって、なんで海江田さんを支持するなどといったのか。
一番傀儡政権にしやすいと思ったのでしょうが、残念ながら小沢さんには私も失望しました。
自信がなくなっているのでしょうか。
小沢さんが海江田さんを指示すると発表した段階で、私の小沢さんへの期待は終わりました。
日本はおそらく奈落に向かってもう少し突き進むのでしょう。
そんな気がします。

野田さんも馬淵さんも良い人なのでしょう。
そう思います。
前原さんのように、この国をおかしくするとは思えませんが、今日の最初の演説、「僕は政治家になったわけ(理由)」を聴いていて、なにやら力が抜けてしまいました。
そんな話はどうでもいいのであって、「私が政治家として目指したいこと」が語れない実務家は、官僚と同じです。
脱官僚は、まず自らの発想から始めなければいけないのではないかと思いました。

しかし、これで日本の政治には質感が少しは戻ってくるでしょう。
東北の状況も改善されるでしょう。
なによりもいいのは、管首相の顔をテレビで見なくてすむことです。
これでゆっくりテレビのニュースが見られます。

しかし今日は充実感のない1日でした。

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■節子への挽歌1457:空海の縁

節子
日本経営道協会の市川覚峯さんから電話がありました。
市川さんはいつも夏には2週間ほど山ごもりの行をされますが、そこから帰ってきた後だったのでとても元気な声でした。

市川さんはある時、思い立って行に入りました。
最初は千日回峰行者 光永覚道師に師事し、比叡山の無動寺谷の明王堂で得度して1年間の行を積みました。
得度式には私も参加し、光永覚道師ともお会いしましたが、思い切った決断でした。
翌年、今度は高野山に移り、「虚空蔵求聞持法」を会得しました。
虚空蔵求聞持法は言うまでもなく、空海に大きな力をあたえた大行です。
断食の満行日に、私は節子と一緒に、市川さんが寄宿していた宿坊に行きました。
夜になって待っていたら、階段を軽快に上がってくる足音が聞え、市川さんが部屋に入ってきました。
驚いたのは、身体が透けて見えるような透明感があったことです。

翌朝、まだ暗い中を、市川さんは護摩を焚いてくれました。
暗いお堂の中は、当時の私にはまだ恐怖感さえありましたが、私には初めての体験でした。
その後、市川さんのご家族と一緒に、奥の院まで行きましたが、断食明けにも関わらず市川さんは役の行者が空を飛ぶように、軽快な足取りでみんなを先導してくれました。
その後、市川さんはさらにもう1年、吉野に移って、生命を賭けた大峯百日回峰にも挑まれました。

その市川さんから電話がありました。
ちょうどその時、私は山折哲雄さんの「空海の企て」を読み直していたところでした。
電話はちょっとした用事でしたが、最近、空海がらみの話が多いので、これもなにかの意味があるのかもしれません。

節子の訃報を聞いた市川さんは奥さんと一緒にすぐにわが家に来てくれ、お2人で節子の枕経をあげてくれました。
あれからまもなく4年です。
高野山で会った、当時小学5年だった市川さんの息子さんも立派な若者になりました。
節子は、成人した彼には会っていないかもしれませんが、実にいい若者です。

急に市川さんに会いたくなったので、近々、彼を訪ねようと思います。
彼もまた、彼岸とも少し通じている人でもありますし。

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2011/08/28

■節子への挽歌1456:花火

手賀沼の花火大会は、今年は中止でした。
代わりに、今日、ほかのイベントにからめてのミニ花火大会がありました。
会場はいつものように、わが家からよく見えるところです。

この花火大会がよく見えるというのが、ここに転居してきた大きな理由でした。
しかし、その花火大会を節子がゆっくり堪能したのは、もしかしたら1回だけだったかもしれません。
というのは、友人たちを誘ったために、最初の頃は、その接待で節子はばたばたしていたのです。
来客も一巡して、ゆっくりと見られるようになった頃に、節子は発病してしまいました。
それからは、節子はゆっくりと見られたでしょうが、心から楽しむことはなかったかもしれません。
最後の年の花火大会は、思い出すだけでもいやになる思い出もあります。
だから思い出すのはやめます。
そんなわけで、私も最近は花火があまり好きではなくなってしまいました。

でも今日は屋上で娘と見ました。
感動もせずに、ただただ節子を思いださないようにして、です。
しかし、時々、節子の声が聞えるような気もしました。

写真を撮りましたが、花火の写真はうまく撮れたためしはありません。
写真を位牌の前に置こうかとも思いましたが、考えてみれば、彼岸から節子は見ていたかもしれません。
まあ、しかし、下手な写真を2枚だけ載せておきましょう。
Hanabi20111

Hanabi20112


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2011/08/27

■節子への挽歌1455:観音の思い出

節子
先日、上野の国立博物館に空海展を見に行った時に、ちょっとだけ本館にも立ち寄りました。
久しぶりです。
小学校の頃から、上野の博物館は私の大好きなところで、よく通いました。
特に国立博物館の雰囲気は気に入っていました。
しかしこの20年ほどは本館に入ったことがありませんでした。
それで雰囲気だけを味わいたくて、立ち寄ったのです。

レプリカでしたが、薬師寺東堂の聖観音像がありました。
まさかここでお会いできるとは思ってもいませんでした。

再建された薬師寺の伽藍には結局いけませんでしたが、薬師や唐招提寺には何回か行きました。
そのふたつをつなぐ道もとても好きでした。
節子が病気になる少し前に京都には行きましたが、奈良には結局いけませんでした。
あの時、なぜ足を伸ばさなかったのか悔やまれます。
奈良に最後に行ったのは、薬師寺の西塔が完成した直後だったと思いますので、もう長いこと訪れていません。
奈良にはまた一緒に行こうといいながら、実現できなませんでした。
今から思えば、薬師寺の薬師三尊に祈れば、奇跡が起こったかもしれません。
薬師寺の薬師三尊は、私が最初に惚れこんだ仏なのです。

先日、空海展を見たせいか、最近、いろいろと仏像を思い出します。
節子と引き合わせてくれたのは、渡岸寺の十一面観音でした。
飛鳥寺の大仏にはちょっとしたいたずらをした思い出もあります。
三千院の阿弥陀三尊は訪れるたびに姿勢を変えていました。
気にいるかなと思っていた法華寺の十一面観音には節子はあまり興味を示しませんでした。
そう思いながら、気がついたのですが、節子はあまり仏像が好きではなかったのかもしれません。
私よりも信心が深いのは間違いありませんが、節子から仏像の話を聞いたことがありません。
節子の実家は滋賀県高月町。
観音の里といわれているところなのですが、あまりに身近すぎたからでしょうか。

節子とまた観音めぐりをしたいです。
節子と一緒に観音の前に立った時の心の平安さを、もう一度体験したいです。
それはもはや、かなわぬ夢でしょうか。
それでは観音になって夢に出てきてほしいものです。

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2011/08/26

■民主党代表選に思うこと

民主党代表選への立候補者がにぎわっていますが、私は今話題になっている人以外の人が代表になる可能性に賭けています。
いま名乗りをあげている人は、いずれも私には共感できないからです。
あえていえば、小沢鋭仁さんくらいでしょうか。
しかし彼は代表選からは降りるでしょう。

それはそれとして、
だれもが「政局より政策だ」といいます。
こんな時期に、代表争いではないだろうといいます。
あるいは、こんな短い期間にだれがどんな政策を持っているのかわからないとも言います。
少しは政治に関心があれば、別に選挙でなくても、そのくらいのことは簡単にわかります。
たとえば立候補者のウェブサイトを見れば、かなりのことはわかります。
それもしない人は、どんなに時間があっても理解など出来ないでしょう。
そもそも興味がないのか、理解するだけのしっかりした「生活」をしていないのか、のいずれかです。
そういう人が郵政民営化を実現し、経済自由主義を応援し、社会を壊してきたのです。
少し言い過ぎでしょうか。

1980年代までの企業経営学の関心事は、「戦略」と「組織」でした。
戦略が組織を決めるとか、組織が戦略を決めるとか、という事がもっともらしく語られていました。
しかし、うまくいきませんでした。
それは当然です。
戦略も組織も、それを実際に動かすのは「人間」だからです。
そして1980年代から1900年代にかけて、人間の行動や意識に影響を与える「企業文化」が注目されだしました。
残念ながらグローバル化という大きな波の中で、その動きは止まってしまいましたが。

このブログでは何回か書きましたが、大切なのはリーダーです。
リーダーの哲学やビジョンが、政策や施策の実体を決めていきます。
もちろん実現の速度もです。
絵に書いた餅のような政策論議よりも、誰がリーダーになるかです。
人柄、見識、国民生活への思い、世界の広さ、時代的役割の自覚、主体性、行動力、実現力、そうしたことでこそ、一国のリーダーは決めるべきではないかと、私は思います。

同時に大切なのは、官僚の文化や国民の文化です。
偉そうなことを言う人ほど、だれが勝つかに興味を持っています。
テレビの政治解説番組を見ていると、それがよくわかります。
文化は、みずからのしっかりした「生活」から生まれてくると、私は思っています。

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■暴力団のミッションの終焉

島田紳介さんの突然の引退で見えてきたのは、暴力団対策法が10月1日からまた一段と厳しくなるということです。
その背景には、山口組系の組員が、最近の様々な犯罪事件に絡んでいるということがあるようです。
以上は、今朝のテレビで知ったことですが、もしそれが正しいとすれば、突然の動きも理解しやすくなります。

そこから感じた事が2つあります。

ひとつは山口組などの組織が壊れてきているということです。
組員が、普通の人を巻き込んで犯罪を起こすことを止められなくなったということは、以前の組織にはあまりなかったことではないかと思います。
堅気の世界と自分たちとは、別の世界だというのが、彼らの美学でありルールだったように思います。
しかし組員の管理すらできなくなったために、一般社会に様々な不都合をもたらすようになってきた。
そのため、治安維持にあたる警察側も放ってはおけなくなったようにも思えます。
これはリーダーシップの問題でもありますが、組織のミッションがなくなりつつあるということでもあります。

もう一つは、社会の管理の方法の変化です。
警察は治安維持のために「民営暴力組織」を使うことから「ITシステム」を使うことに、パラダイムシフトしたのではないかと言うことです。
監視カメラ、あるいはITシステムを使った個人言動管理の強化路線です。
これは一見治安を安定させるように見えますが、たぶん必ず破綻するでしょう。
それはもうずっと前にオーウェルが予言しています。

舌足らずですが、この2つが私が感じていることです.

いずれにしろ、暴力を独占している人は、暴力など使う必要はありません。
最高にやさしい存在になれるはずです。
しかしどうもそうなってきてはいない。
もしかしたら。暴力の独占が壊れだしているのかもしれません。
もしそうであれば、社会が壊れだしているということです。
であればこそ、自らをしっかりと律して生きなければいけません。
コンプライアンスの意味は、法令遵守ではなく、大きな秩序に従って自らを律することなのではないかと思います。

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■節子への挽歌1454:臨読

節子
節子は、自分に向けて書かれているので、この挽歌を毎日読んでいるでしょう。
そろそろ終わりにしてよ、と思っているかもしれませんが。

ところが、これまでの挽歌を一気に読み進んでいるらしい人が出てきました。
なぜわかったかというと、その方が先日、次のようなコメントを寄せてくださったのです。

佐藤さんのこの「挽歌」を順番に読ませていただいています。
どれも、一つ一つの言葉が心に染み入ってきます。
なにしろ1450を超えていますから、1項目1000字弱として、140万字なのです。
面白ければともかく、私のつぶやきでしかない挽歌を通読するには、よほどの思いがなければできません。
この方とは面識はありませんが、すさまじいエネルギーが感じられます。

昨日、「臨書」ならぬ「臨読」のことを書きました。
臨書とは、手本の書の字体とそっくりに書くことです。
手本に可能な限り似せて書くと、その手本を書いた人の気持が分かるのだそうです。
先日、NHKの空海の番組でそれを知りました。
また最近、知人が、空海の書を臨書すると元気がもらえると、フェイスブックで教えてくれました。
私も昨日書いたように、忌野清志郎のDay Dream believer の歌詞を読み上げたら、曲を聴いていたのとは違った思いが実感できました。
それを「臨書」をもじって「臨読」と書いたのです。
私の挽歌を通読し終わったら、どのような思いが起こるか、実はいささかの期待と不安もあります。

この方は、ご自身の愛と哀しさを強くお持ちですから、臨読によって、私の思いの奥の奥までがきっと見えてしまうでしょう。
私にはまだ見えていないことも見えるかもしれません。
読み終えた時のコメントが、楽しみでもあり、不安でもあります。

いつか、私も自分で書いたこの挽歌を読み直すことがあるでしょうか。
節子はたくさんの日記を書き残していきましたが、私はまだ読めずにいます。
日記を臨読する勇気は、いまのところありません。

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2011/08/25

■島田紳助さんの突然の引退会見

島田紳助さんの突然の引退会見は、一見、潔さそうで、歯切れの悪い会見でした。
言い訳が多すぎました。
しかし、彼の人柄が感じられて、何回も見てしまいました。

それはそれとして、いつも思うことがあります。
付き合うだけで反社会的だといわれる組織や人が存在することへの疑問です。
社会には2つの暴力組織が存在します。
いわゆる暴力団と警察組織です。
両者はつながっていますが、その境界が私にはよくわかりません。
警察から暴力組織への天下りもあるのだろうと、私は勘繰っていますが、暴力組織から警察関連組織への「出向(応援)」もあるはずです。
少なくとも、1960年代にはあったはずです。
そうした繋がりを残したまま、普通の人が暴力組織と付き合うと非難されるのは、要するに「暴力組織」も含めて、暴力機能を政府が独占しようということの当然の結果かもしれません。
しかし、それは危険な賭けでもあります。
なぜなら、人が構成する組織は、閉じられてはいけませんから、暴力は必ず広がりだすからです。
それを管理するのは至難のことです。
暴力組織の存在を許しておきながら、そこと付き合うのはだめだというのであれば、もう少しきちんと論理付けるべきですし、管理の仕組みを構築すべきです。
警察はもう少し頭を使うべきでしょう。
暴力に依存していると、そういう志向はなくなるのかもしれませんが。
しかし、暴力をあずかるのであれば、もっと真剣に管理してほしいものです。
最近の日本社会の荒廃は、そうしたことがおろそかにされた結果だと思います。
「警察の民営化」も少しずつ始まっていますが、暴力管理(警察行政)のあり方は、そろそろ考え直すべきでしょう。
安直な監視社会化だけでは限界があるはずです。
民間の暴力組織を合法化した、その後の戦略が不在です。

橋下大阪知事が、自分が知事になれたのは紳助さんのおかげだと発言しています。
要するに、橋下知事もまた暴力組織の庇護の下にあるということです。
紳助が引退するなら、彼もなんらかの責任をとるべきだと私は思いますが、もしそうであれば、責任を取って引退する人は、八百長相撲事件で多くの力士が引退させられたと同じように、膨大な数の人が連鎖していくでしょう。
政界にも、経済界にも波及するでしょう。
いささか過剰に考えすぎかもしれませんが、しかしそれが現実なのでしょう。
私には生きにくい時代です。

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■節子への挽歌1453:Day Dream believer

私のブログを読んでくださっているイルカさんからメールが来ました。

原発事故以降、40年前に原発反対の曲で、マスコミから封殺されてしまった、忌野清志郎の曲を改めてじっくり聴くようになったのですが、
そのなかに、Day Dream believerという曲があります。
この曲は清志郎が亡くなったお母様のことを歌った曲ということなのですが、なぜか、この曲を聴くたびに、どうしても、佐藤さんと奥様の節子さんのふたりのことを歌っている曲になのでは?と頭に浮かんできてしまうのです。
とても良い曲と思うので、佐藤さんにお伝えしたくてメールをしてしまいました。
忌野清志郎。
いろいろと話題の多いミュージシャンでしたが、私とは少し世代的にずれていたのか、私自身はあまりこれまで聴いたことはありませんでした。
特に「がん」と聞いた途端に、その人の音楽は聴けなくなるのが、最近の私ですので、イルカさんと違って、亡くなったあとも、原発事故以降も、聴いてはいません。
しかし、他ならぬイルカさんのお薦めですので、ユーチューブで聴いてみました
1回目は、正直、ピンときませんでした。
でも、イルカさんは、この歌から私たちを思い出してくれるのです。
この3日間、パソコンンに向かうたびに聴いていました。
そして、なんとなくイルカさんのいっていることがわかってきました。

それで歌詞を書きとめて、自分の声で読み上げてみました。
驚いたことに涙が出ました。
最近、「臨書」という言葉を覚えたのですが、これは「臨読」ですね。
誰かの文章を、自分の声で読み上げると、その人の気持ちが追体験できるようです。

もっとも、歌詞はお世辞にもうまいとはいえません。
私ならもう少しうまく書くのにと思うほどですが、この一節が頭の中で「発酵」しだしたのです。

ずっと夢を見て いまもみてる
僕は Day Dream believer
そんで 彼女は クイーン
たしかに、今の私です。

Day Dream believer
日本語に訳すと「夢に生きる人」でしょうか。

イルカさんからまたメールが来ました。
以前、2008年に、清志郎の「夢かもしれない」の曲について、私がブログに記事を書いたとき、偶然にも、佐藤さんからコメントをいただきました。

すっかり忘れていましたが、その頃からずっと私は夢を見ているのかもしれません。
私のブログや挽歌を読んでくれている人は、もしかしたら私よりも私のことを知っているのかもしれません。

イルカさん
この曲が好きになりました。
ありがとうございました。

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2011/08/24

■節子への挽歌1452:場所が語りかけてきます

昨日、国立博物館で空海展を見た後、少し暑かったのですが、上野公園を通って湯島のオフィスまで歩きました。
上野公園から寛永寺を抜けて、不忍池の端を通って30分ほどです。
この時期はハスが池を埋め尽くしています。

不忍池は節子とよく歩きました。
オフィスからの帰り道の一つだったからです。
この界隈はとても不思議な空間なのです。
まだまだ人間らしさが強く残っています。
節子と歩いていた頃とそう違っていません。
行き交う人も、実にさまざまです。
いささか「危うい人」もいますが、それも変わっていません。

節子がいなくなってから、ここを歩くのは2回目です。
いつも2人で歩いていた道を、一人で歩いていると、ちょっとしたことで節子を思い出します。
あそこにいるおばあさんに、節子だったら声をかけるだろうな、とか、
あの人は敬遠して、節子は反対側に避けるだろうな、とか、
ちょっとここで一休みしようといいかもしれないな、とか、
節子の言動が思い出されるのです。

人の記憶は、頭の中だけにあるのではないようです。
場所とつながることによって、忘れていた記憶がよみがえります。
言い換えれば、その場所にも節子の息吹が残っている。
それを強く感じます。
場所が語りかけてくるのです。

不忍池を離れて街中に入っても、いろんな記憶がよみがえります。
陶器のお店、漆器のお店、そうしたものが好きだった節子は、よく立ち寄りました。
特に買うわけでもないのですが、そういうお店が好きでした。
私は買わずに出てくるのが気がひけましたが、節子はそんな事は気にしませんでした。
でも買いたいものもきっとあったはずです。
私は、無責任に好きなものがあったら買ったらいいじゃないかと勧めましたが、わが家にはお金がなかったのかもしれません。
お金のことはすべて節子に任していましたが、会社を辞めてからは、私の収入は極めて不安定で、次第に無収入に近くなっていったからです。
それでも、わが家は豊かでした。
経済的に困ったこともなく、物もありあまるほどあります。
最近はちょっと苦しいこともありますが、不思議と何とかなっています。
節子がきっと見守ってくれているのでしょう。

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2011/08/23

■節子への挽歌1451:明王の怒り

上野の国立博物館で開催されている「空海と密教美術展」に行ってきました。
テレビの空海特集番組で「怒りの仏像」を見ていたこともあって、明王像に目が行きがちでした。
明王を、怒りを意識してみるのは初めてです。
明王がなぜ憤怒の表情をしているのか、ということを改めて意識したことなどなかったからです。
それに私の意識の中では、明王にはあまり関心はなかったのです。
それに、仏像は慈悲に満ちた温和な表情が好きでした。
しかし、怒りを意識して明王や四天王などを見ると、たしかに伝わってくるものがあります。
それに、思い出せば、憤怒とは言わないまでも、怒りを感じさせる如来蔵や菩薩像もあります。
私自身、恐ろしくなって逃げ出したこともあります。
京都の勝林院の阿弥陀如来です。

怒りは、「思いどおりにならない状態に直面したときに誘発される感情」だといわれます。
怒りの表情は、それを向けた相手の意識や行動を変える効果があります。
明王は、衆生の生き方を変えさせようと、怒りを発しているのでしょうか。
これまで私は、何となくそう感じていました。
慈悲だけでは衆生は救えない、だから空海は仏像に怒りを持ち込んだともいわれます。
でもそうなのだろうか。

怒りは自らに向けるべき表情ではないとも言われます。
自らに向けても意味がないですし、そもそも向けられない。
しかし、怒りはむしろ自らに向けられる時にこそ、本来の意味を持つ表情なのではないか。

私もたぶん、ある時期、怒りを心身に出していたはずです。
どこに向けていいかわからない、怒りの念が強まってきて、それが顔に出てしまうのが、自分でもわかったこともありました。
その多くは決して「誰か」に向けられたものではないのですが、たまたまその時、相手をしていた人は自分に向けられたと思ったかもしれません。

たしかに周囲の人たちが無性に腹立たしかったこともあります。
私の気持ちも知らないで、と逆恨みしたこともありますが、その時でさえ、素直に相手を受けいれられない自分への嫌悪感や苛立ちが、腹立ちの原因でした。
怒らせているのも自分、怒っているのも自分という、奇妙な状況に入ると、なかなかそこから抜けられません。

展示会場につくられたミニ立体曼荼羅空間で休みながら、そんなことをいろいろと考えさせられました。
そして改めて明王の怒りを見て感じたのは、その奥にあるやさしさや悲しみ、あるいは弱さでした。
怒りの表情が仏像に現れたのは、仏像が成長した結果なのではないか、そんな、わけのわからないことを考えながら、会場を出ました。

節子にも見せたかったです。

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2011/08/22

■節子への挽歌1450:夢のような世界

少し前に、夢だと思って見ている夢のことを書きました。
この種の夢は「明晰夢」というそうです。
「明晰夢をよく見る人は、やがて見ている夢を自分でつくり変えることが可能になる」と、ある本に書かれていました。
最近、そうした明晰夢を見ることはなくなりましたが、以前はよく見ました。
ところが、なかなか思ったようにはなりませんでした。
空を飛べる夢を見ても、思うように飛べなくて、失敗するのです。

節子がいなくなった後、節子の夢を見たいと思うこともありました。
しかしなかなか思うようにはなりませんでした。
その頃からでしょうか、私はあまり明晰夢を見なくなったような気がします。

夢は寝ている時だけ見るものではありません。
生きている時も見る夢はあります。
希望や目標と言ってもいいかもしれません。
両者は全く違うものではないかと思いますが、なぜか同じ「夢」という言葉で表わされます。

いずれも「質感のない映像」のようなもので、いとも簡単に壊れてしまいます。
しかし、寝ている時に見る夢は「現在」の話です。
一方、生きている時の夢は「未来」の話です。
それがどうして同じ言葉で語られるのか不思議です。
両者はきっと深くつながっているのでしょう。

節子と一緒に描いていた私の「夢」は、節子と共に消えました。
それに代わる夢を持てない私は、それ以来、夢がなくなりました。
しかし、もしかしたらすべてが夢になってしまったということかもしれません。
節子のいない人生は、夢のようだともいえるからです。
「夢」という言葉は不思議な言葉です。

最近、明晰夢をみなくなったのは、現実が夢のような世界になったからかもしれません。
しかし、その現実も、なかなか思うようには変えられません。
困ったものです。

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■円高で海外企業を買収する事の意味

円高が止まりません。
たしかにドルを支えるアメリカの経済状況を見れば、基軸通貨のドルがきわめて危うくなっているのは明らかです。
オバマ政権は、この事態を収束させられないでしょうから、円高はさらに進むかもしれません。
グローバル化の終焉は、大きな危機をもたらしました。
小泉政権がやってきたことを、しっかりと見直すべき時期に来ています。
しかし、日本では相変わらず方向を転じていないように思います。

その一つとして、円高のなかで、海外の企業の買収が増えています。
経済行為としては合理的なのでしょうが、私たちの生活にとってどういう意味があるのか、よくわかりません。
その行為で、誰が幸せになり誰が迷惑を受けるのか。
円高を活かして海外旅行したり、海外の商品を購入したりする動きは、メリットを享受する人が明確です。
円を使って生活している旅行者や購入者です。
海外旅行を斡旋している会社もメリットがあるかもしれません。

海外の企業を買収した場合はどうでしょうか。
買収した企業は利益を得るでしょう。
安い買物といえるでしょうから。
しかし、それで何が失われるでしょうか。

資本や企業が国境を越えて自由に行動するのが、経済のグローバル化です。
それによって、資本や企業は利益を得る選択肢が拡大します。
しかし、それは同時に、「国家」の意味を希薄化させることでもあります。
前にも書きましたが、グローバルな企業で活動するためには、国籍を捨てなければならないというようなことが、企業の人事部長から語られるように、グローバル化とは国家を超えることでもあります。
つまり、グローバル経済のもとでは、資本や企業の判断基準は、自らの利益だけです。
かつてとは違います。

企業はいまや、売買の対象です。
その発想を一歩進めれば、国家もまた売買の対象になりえます。
いいかえれば、市場主義の視点からいえば、国家の存在意義はそこにしかないともいえます。
資本や企業は、この20年でまったく変質してしまったとしか思えません。
円高が続けば、電力料金が高くなれば、海外に移転せざるを得ないなどという経済人には、生活というものがわかっていないとしか思えません。

「日本政府は、国民の利益のためではなく、企業や投資家の利益のためにグローバル化を推進する組織に成り果てた」と、経済学者の中野剛志さんは嘆いていますが、小泉政権以来の日本政府はそういわれてもしかたがありません。
もちろん今の民主党政権も、です。
小沢一郎さんは少し違うと思いますが。

得々として、海外企業の買収を発表する経営者には驚きます。
何のために企業なのか、原点に返って出直して欲しいものです。

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2011/08/21

■節子への挽歌1449:生きることの大切さ

節子
友人の知人が心筋梗塞で亡くなりました。
まだ50代で、どうやら過労だったようです。
なぜ人は死ぬほど働くのでしょうか。
生きるために働いているはずなのに、働きすぎて死んでしまうのは、本末転倒です。
死者には申し訳ないのですが、そういう話を聞くたびに、生きようとがんばっていた節子を思い出します。
「生きること」をもっと大事にしてほしい、と言っていた節子の目を思い出します。

そういう人には、多くの場合、予兆があります。
本人もそうですが、周囲の人も、それに気づいていることが多いのです。
昨日、心筋梗塞でなくなった人も病院に行く予定だったのが、仕事の忙しさで遅れてしまったようです。
そういえば、節子もよく知っていたYSさんもそうでした。
仕事のために病院に行くのが遅れてしまい、間に合わなかった。
40代でした。
彼のお母さんにお会いした時には、かける言葉もありませんでした。
なんという親不孝なのか。
しかし、そういう人に限って、誠実でやさしい人も多いのです。
そういう人を、死に追いやる社会にやはり問題があるのかもしれません。

今日は湯島で、自殺のない社会づくりネットワークの恒例の交流会です。
私が、自殺の問題に関わりだしたのは、「どうしてもっとみんな生きることを大事にしないのか」という、節子の、怒りのような言葉と無縁ではありません。
自殺も過労死も、他者を殺めるのも、孤独死を放置するのも、そうしたことを引き起こす社会に対して何もしないのも、みんな同じことなのかもしれません。
その出発点は、言うまでもなく、自らの「生きる」ことを大事にすることです。
自らの「生」を大事にしないで、どうして愛する人の「死」を悼むことができるでしょうか。

誠実に、素直に、ひたすらに、生きること。
それが私の今の生き方です。
そうしなければ、彼岸で節子に合わす顔がありません。

過労死も自死も避けなければいけません。
死を避けたくても避けられない人がいることを知ってほしい。
そして避けられなかった死を悼んでほしい。
そうすれば、生きることの大切さに気づくはずです。

最近は、悲しいことが多すぎます。

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2011/08/20

■節子への挽歌1448:輪廻でもなく解脱でもなく

数日前までの酷暑が嘘のように、節子が彼岸に戻ってから、肌寒ささえ感ずる日が続いています。
節子が、酷暑を持っていってくれたのでしょうか。
そんな思いがするほどに、急に涼しくなりました。
人は身勝手なもので、暑い時は涼を求めるくせに、涼しくなると暑さがほしくなります。
新しい世界よりも、慣れ親しんだ世界を懐かしむようになったら、人生は終わりだと考えていたころがあったことを、思い出しました。
私は、過去にはほとんど興味を持たないはずだったのに、最近は未来よりも過去に生きているのかもしれません。
それが良いとか悪いとかではなく、ふとそんな気がしました。
もちろん、今も決してそうではありませんが。

夏から秋へ、此岸から彼岸へ。
人は世界を渡り歩いているのかもしれません。
しかし、違う世界へ向かう時には、ある種の高揚感が生まれます。
だから、季節の変わり目が、私は好きでした。
あるいは、違った文化の世界が好きでした。

節子がいなくなって、世界は変わりました。
私が動かなくても、夏が秋になるように、変ったのです。
いまから思えば、たしかにその時、私は高揚していたかもしれません。
告別式での挨拶や弔問客への対応、妻を亡くした私が元気そうなのを見て、驚いた人がいるかもしれません。
世界を移る時には、だれかがきっと「ちから」を与えてくれるのです。

節子がいなくなった世界はもうじき4年が経ちます。
その世界は、奇妙に完結していて、時間の流れが不安定です。
しかも重力が大きいようにも思います。
その世界は、決して居心地が良いわけではないのですが、違う世界に動きたいとも思わない、不思議な世界です。
言い換えれば、もう次の世界に渡り歩く気がなくなった、ということです。
「出家」という言葉がありますが、どこかそんな思いに通ずる気もします。

この世界からは此岸が良く見えますし、彼岸さえ見える気がする。
輪廻と解脱ということも、時に感じます。
もう前にも後にも進むことなく、あえて「瞑想」もすることなく、自然にあることでいいのだと誰かから言われているような気もするのです。
しかし残念ながら、まだ心の平安は得られずにいます。
とても宙ぶらりんの心境です。

いま私は本当に生きているのかどうか、時々、疑問に感ずる事があるのです。

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■リスクをとらない生き方

この数年、いろいろな局面で、リスクをとらない人たちに出会います。
本人はたぶんあまり気づいてはいないのかもしれませんが、「安全で安心な社会」のなかで生きていると、そうした生き方が当然だと思うのかもしれません。
そういう生き方は、私の周辺にも増えています。
私自身、そういう傾向が強まっているのかと思うとゾッとしますが。

和牛オーナー制度で成長していた安愚楽牧場が、民事再生法の適用を申請しました。
7万人を超すオーナーからの出資の4200億円が返還できるかどうかが問題になっています。
老後の生活資金を投入した人もいるそうです。
こうした事件が起きると、いつも経営者が責められます。
たしかに経営者に悪意がある場合も少なくないでしょう。
しかし、私はいつも、出資した人の無責任さを咎めたくなります。
投資とは、リスクのあることです。
高利を求めるのであれば、リスクは覚悟しなければいけません。
それに老後の生活資金を、そうしたリスクのあるところに投資すべきではありません。
世の中には、そんな好都合の話などありません。
出資先が倒産したのであれば、潔く諦めるべきです。
仮に、それが「詐欺行為」だったとしても、諦めるべきです。
詐欺行為は許せませんが、詐欺にあうのも褒められたものではありません。
ましてや詐欺とわかって騒ぐのは、私の美学ではありません。

生きることには、常にリスクが伴います。
農業や漁業を生業にしている人たちは、常にリスクを負っています。
日照りが続けば収穫は減るでしょうし、台風が来て全滅することもあります。
漁師も、どの漁場に行くかは、自分で決めなければいけません。
漁獲も豊漁もあれば、魚群に出会わないこともあるでしょう。
御殿が建つこともあるでしょうが、津波に家をさらわれることもある。
みんなリスクと共に生きています。

老後のためにお金を蓄えるという生き方そのものが、私には違和感がありますが、それは仕方ないとして、お金を増やそうなどという発想はいったいいつから広がったのでしょうか。
「お金がお金を増やす」などということを信ずる人の気持ちがわかりません。
マジックではあるまいし、そんな事が起こるはずがない。
でも現代人は、みんなそれを疑うことはありません。
「お金がお金を増やす」ことが起こるとしたら、それは同時に誰かの「お金を減らしている(奪っている)」ことではないかと、私は思います。
それが、私の経済観のイロハです。

工業社会は、しかし、「安全神話」に守られた社会です。
自然の変化などには影響されないですむ仕組みをいろいろとつくりあげてきました。
ですから、そうした社会に生きていると、みんなリスクをとる生き方を忘れてしまいます。
ちょうど野生の動物が家畜になるのと似ています。

リスクを無視し、いいところだけを享受する生き方が、私にはどうしても違和感があります。
原発の問題を考える時に、どうしても引っかかってしまう問題でもあります。

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2011/08/19

■節子への挽歌1447:哀しみの愛と歓びの愛

節子
「愛」は、実にさまざまです。
この挽歌を読んでコメントやメールを寄せてくださる人もいますが、
それを読んでいて、それがよくわかります。

学生時代、映画館にかなり入り浸っていました。
「愛」をテーマにした、イタリアやフランスの映画もよく行きました。
恋愛体験もないくせに、いささか頭でっかちの恋愛感を持っていました。
節子は、最初はたぶん戸惑ったことでしょう。

40年の節子との生活は、いろいろありました。
波風も全くなかったわけではありません。
しかし、私の愛も恋も、次第に節子に収斂しだしました。
映画の世界を抜けて、実際の世界へと引き寄せられたのです。
節子と一緒にいるだけで、最高に幸せでした。
節子も、そうだったと思います。たぶん、ですが。

節子を見送った後、次第に強くなってきたのは、愛の哀しさです。
愛は、歓びを与えてくれますが、その大きさに比例した哀しみも用意してくれています。
人を愛するということは、その哀しみを覚悟するということなのです。
その覚悟がなくては、人を本気で愛することなどできません。
しかし、残念ながら、若い頃にはそんなことなど気づくはずもありません。
私もそうでした。
それに気づいたのは、節子を見送ってからでした。

その覚悟があれば、節子との最後の数年は少し違ったものになったかもしれません。
しかし、私は、その覚悟から逃げていました。
節子は絶対に治るものだと信じ込んでいたのです。
今から思えば、一種の逃避かもしれません。
節子は、そうやって逃避する私をたぶん責めはしないでしょうが、知っていたはずです。
いま思えば、そう感じます。
節子は、いつもやさしかったのです。
信ずるのも愛ならば、騙されるのも愛かもしれません。

哀しみの愛と歓びの愛。
いま私は、哀しみの愛のなかにいます。
歓びの愛にもう一度戻りたいと思いはしますが、それはかなわぬ思いです。
しかし、ふたつの愛を体験してこそ、節子への愛は成就するような気がします。
哀しみの愛の中でこそ、見えてくる節子の魅力もあるからです。
それによって、節子を愛したことの歓びが実感できるのです。
節子と別れて、私はますます節子にほれ込んできました。
人を愛することができるほど、幸せなことはありません。

挽歌を書いていると、いろんなことに気づかせてもらえます。

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■医師免許の意味

大震災被災地の石巻市などで、「ボランティアの医師」を名乗って活動していた米田容疑者が医師法違反の疑いで逮捕されました。
彼は医師免許を持っていなかったそうです。
こうした「偽医師による治療行為事件」は時々起こります。
その度に、私は、なぜこういうことが起こるのかと思います。
そして、どうしてみんな医師免許のない人の医療行為を非難するのか、不思議に思います。
わが家のむすめたちに話すと、医師免許を持っていない人に治療を受けたくない、といわれました。
同じ昨日、患者に誤った薬剤を与え、副作用で死亡させたとして、埼玉県薬剤師会の会長まで勤めた薬剤師が業務上過失致死容疑で書類送検されたというニュースが流れていました。
その話をして、たとえ免許を持っていても、こういうことは起こると話しても納得してもらえません。
わが娘にしてまで、「免許」や「資格」に依存しているようです。
育て方が悪かったのでしょうか。

社会学者の市野川さんがある本で語っていた言葉がとても私には納得できます。

プロフェッションというのは独占の一形態であって、それには名称独占(試験合格等の条件を満たさなければ、その資格を名乗れない)と業務独占(資格をもっていなければ、その業務に従事できない)の二つがありますが、外国人ケアワーカーの受け入れに対する反発は、賃金等が下がることへの反発であるばかりでなく、プロフェッションの独占体制、正確にはネイションをベースにした独占体制が、揺らぐことへの反発でもあると思います。(『「国家」は、いま』岩波書店)
フィリピンの看護師資格が日本でそのまま認められないことを、同国の看護師協会が問題にしたことに関連しての発言です。
私は、「資格」制度にはほとんど価値を感じていない人間です。
資格をひけらかすプロフェッションほど、内容のないプロフェッションはいないと思っているからです。
それに彼らの専門知は、実際の生活においては必ずしも有効ではないからです。
こんなことをいうと、いわゆる「士業」の友人たちに怒られそうですが、資格を否定しているわけではなく、その人の持っている技量や知識、あるいは機能を理解するための、「ひとつの要素」としては意味があると思っています。
しかしだからといって、それは万能でもなければ、それがなければ「当該行為」ができないということでもないでしょう。

今回の米田容疑者に関していえば、私には助成金目当ての何ものでもないとしか思えません。取り立て騒ぐような話でもありません。
むしろ、医師免許に騙されて安直に助成したり、免許の有無で行為の評価が一変したり、さらには、いい加減な「資格」や「免許」をすべての判断基準にしてしまう人たちの多さに恐ろしさを感じます。
この問題が発しているメッセージを、私たちは自分の問題としてしっかりと受けとめるべきでしょう。

「知的な仕事」は専門職の人でないとできないと思うことをやめなければいけません。
ほとんどの「資格」「免許」の獲得にはお金が絡んでいます。
そして、それが格差社会を維持していくための、かなり有効な手段であることは間違いありません。
自らが獲得した評判と管理者によって認定される制度としての資格とを混同してはいけません。

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2011/08/18

■節子への挽歌1446:「妻は4年前に亡くなりました」

節子
街で、付き合いの少ない知り合いに会うのが苦手です。
なぜか決まって「奥さんはお元気ですか」と訊かれるのです。
私たちは、いつも2人一緒だったから、そう訊かれるのかもしれません
今日、夕方、近くのお店で久しぶりに会った人からも、そう訊かれました。
「妻は4年前に亡くなりました」
その言葉は、あまり口にしたくはない言葉です。
この言葉を聞かなければ、その人の世界ではいまも節子は生きているのですから。
しかし、私の世界にはいないのに、誰かの世界にはいるのも、あんまり気持ちのいい話ではありません。

人は自分中心で物事を考えがちです。
節子を見送った直後、そのことを知らない人に出会うとなぜか腹が立ちました。
知らないのが当然なことはわかっているのに、なぜか腹が立つのです。
私が愛する節子が旅立ったのを知らない人がいるとは信じられない、そんな気分でした。
それほど私には大きな事件だったわけです。
その反面、4回目のお盆ですね、などと言われると心和むのです。
その自分本位さは、われながらいやになりますが、それが素直な気持ちなのです。

愛する人を失う体験を持つのは私だけではありません。
みんなそうした体験を持っているはずです。
昨日も川下りを楽しむ船が転覆して、死者が出たというニュースが流れていました。
私と同じ思いをする人がまた何人か生まれた、というのが、こうしたニュースに接した時に、いつも私の頭をよぎる最初の気持ちです。
毎日、どこかで愛する人との別れが繰り返されている。
節子との別れは、どこにもよくある話の一つでしかないのです。
そんなことは、私もよくわかっています。
にもかかわらず、私にとっては、節子との別れだけに特別の意味がある。
なんとまあ身勝手なことか。

「妻は4年前に亡くなりました」
その言葉も口に出したくないですが、それ以上に、その言葉への反応が辛いです。
相手もどう反応していいか困るでしょうが、その反応にどう反応していいか、これまた悩ましい話なのです。
ちなみに、どんな反応であっても、身勝手な私が満足することはありえません。
だから近くで、あまり親しくない人に会うのがいやなのです。

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2011/08/17

■節子への挽歌1445:カニッツァの三角形

「カニッツァの三角形」をご存知でしょうか。
有名な錯視図形の一つです。
ご存じない方は次のサイトで体験してください。
http://brainsc.com/kinou/kanizsa.html実際にはそこにないものが見えてくることはよくあることです。

しかし、「そこにあるもの」とは何でしょうか。
もしそこにあるように見えるのであれば、それは「そこにある」と言ってもいいかもしれません。
ドラゴンは実在する生き物でしょうか。
想像上の生き物ですが、たぶん多くの人は、その姿をイメージできるでしょう。
実在する動物の多くを、私は実際にこの目で見たことはありません。
だとすれば、私が見たことがない実在する動物とドラゴンのような架空の動物は、私にとっては分けて考えることはありません。
いずれも私の頭の世界には「生存」しているのです。

進化心理学というのがあるそうですが、そこでは、「記憶」とは生き残るために人が身につけた「道具」であるとされます。
そして、「記憶の世界は生きていくために好都合なように変化していく」というのです。
とても納得できる話です。
しかし、これはなにも「記憶」だけではありません。
「現在」の世界もまた、「生きていくために好都合になるように」変化しているのかもしれません。
現在の世界は、「想像」によって構成されていきますから、記憶の世界と同じように、その人の意思によっていかようにも変わりえます。

お盆には彼岸と此岸の世界が通ずるという「方便」もまた、私たちが「生きていくために好都合になるように」設計されたことでしょう。
その方便を信ずる人は、祖先たちとの饗宴を楽しんだかもしれません。
「カニッツァの三角形」が見えるならば、彼岸が見えないとは言い切れません。
その気になれば、彼岸に行ってしまった人にも会えるかもしれません。

残念ながら、今年のお盆は節子に会えませんでした。
彼岸もあまり実感できませんでした。
しかし、カニッツァの三角形のような、見えない世界が見えてくるかもしれない。
そんな気がしてきました。
人は見えるものを見るのではなく、見たいものを見るものです。
だとしたら、いつかきっと彼岸も見えてくるでしょう。
節子にもう一度会いたいという気持ちだけは強く持ち続けたいと思います。

私が生きているうちに会えるといいのですが。
今年のお盆は暑いお盆でした。

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2011/08/16

■節子への挽歌1444:送り火

お盆も、あっという間に送り火です。
今日はみんなでお寺に行きました。
夕方だったせいか、ごった返していました。
わが家のお寺は、前にも書きましたが、我孫子市の久寺家というところにある宝藏寺です。
真言宗豊山派のお寺です。
久寺家は昔は久寿寺と書いたそうですが、何やら意味ありげのお寺です。
昔の小さな城址ともいわれるところにあるため展望が比較的いいです。
昔は、その近くに住んでいたので、父母の墓参りに、節子と一緒によくそこには行きました。

お墓のイメージは、そこに親族のお墓があるかどうかで全くイメージが変わります。
私は昔は墓地がなんとなく恐くて、不浄のイメージがありました。
夜に一人ではとても行けないところでした。
父母を葬ってからはイメージが変わりました。
不浄感はなくなり、恐さもあまり感じなくなりました。
そして節子を葬ってからは、私にとってはほぼ日常空間と同じになったのです。
今なら夜でも行けるでしょう。

お墓のイメージの変化は、彼岸への距離に関連しているのかもしれません。
昨日、時評編で日系アメリカ人のミネタさんの
「何かについて、誰かについて、知れば知るほど、恐怖感はなくなっていく。」
という言葉を引用させてもらいましたが、
まさに彼岸やお墓に関しても、同じ事が言えるかもしれません。

最近は彼岸と此岸の距離は遠くなってきているのか、近くなっているのか。
これはどちらともいえません。
近くなってきているような気もしますが、生活の面では遠のいているようにも思います。
葬儀形式も形式化してきている一方で、個性化もしています。

家庭で送り火を燃やす風景には最近はあまり出会いません。
しかしお寺への提灯の数は年々増えているような気もします。

節子の送り火は、今日は4人で行いました。
今夜からまた節子は仏壇に戻っています。
今年のお盆は、不思議な疲れを感じたお盆でした。
歳のせいか、暑さのせいか、それとも時空の歪のせいか。
いずれにしろ、なにもできない4日間でした。

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2011/08/15

■恐怖の源泉

渡辺謙さんがレポーター役をつとめた「9.11テロの立ち向かった日系アメリカ人」を見ました。
「9.11アメリカ同時多発テロと、70年前に開戦した太平洋戦争を結ぶ、知られざる物語がある」という話から始まるドキュメントです。

9.11テロ発生後、アメリカで、アラブ・イスラム系の人々に対する暴力や差別が広がりました。
そうした動きに厳然と異議を唱えたのが、テロ発生当時、運輸長官だった日系二世のノーマン・ミネタさんだったそうです。
そして、彼を中心にして多くの日系アメリカ人たちが行動を起こしたのです。
その背後には、太平洋戦争時にアメリカで起こった日系アメリカ人の強制収容所隔離という、自分たちの両親たちの体験がありました。
ノーマン・ミネタさんの両親も、その体験があったのです。

いまも、日系アメリカ人とアラブ・イスラムの若者同志の交流の場がもたれていますが、その集まりでミネタさんが話した言葉に感激しました。
彼は、若者たちに自らのルーツである宗教、言葉、芸術に誇りを持てと語りかけます。
そして、それを共有していくことが大切だと言います。
いうまでもなく、共有するとは「違いを認め合って、お互いに尊重しよう」ということです。
そして、ミネタさんはこうつづけます。
「何かについて、誰かについて、知れば知るほど、恐怖感はなくなっていく。」

疑心暗鬼という言葉がありますが、不安な状況の中では、「知らないこと」は恐怖の源泉になるのです。
正確に言えば、中途半端な知識が一番危険なのだろうと思います。
無垢な赤子は、おそらく何に対しても恐怖は感じないでしょう。
しかし多くの人は、自らが知っている世界の広さと恐怖感はおそらく反比例します。
「不惑」という言葉も、その人の世界の広さに関連していると思います。

「愛国心」もまた、恐怖心(コンプレックス)と深くつながっています。
しかし、恐怖に端を発する「愛」は、ありえないでしょう。

「何かについて、誰かについて、知ること」の大切さを、私たちはもう一度、思い出すべきです。
最近の教育は、それを忘れているように思います。
教育だけではありません。
私たちは、毎日の生き方において、もっと「何かについて、誰かについて、知ること」を心がけるべきではないか。
この番組を見て、改めてその思いを深めました。
アメリカにはまだ政治がある、とも思いました。

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■節子への挽歌1443:記憶の喪失

暑さがつづいています。
今日はユカと一緒に父母のお参りに行ってきました。
節子は私の両親と同じお墓に埋葬されています。
これは節子自らが選んだことです。
節子は30代の中頃から私の両親と同居し、2人を最期まで看取ってくれました。
お墓は同じなのですが、仏壇だけは節子専用にさせてもらいました。
両親の仏壇は私の兄に頼みました。
そんなわけで、お盆には両親は兄の家に、節子はわが家へと戻ってくるのです。

節子は私の両親には、私以上に好かれていました。
しかし、義理の父母との暮らしは、節子にはかなりのストレスだったでしょう。
ですから、節子が父母の墓に埋葬してほしいと言い出した時には、正直驚きました。
おかげで、私も両親と同じ墓に入ることになりました。
私は閉所恐怖症ですから、お墓への埋葬は好みではありません。
広い空間に散骨してほしいと、節子には頼んでいましたが、そうはなりませんでした。
節子が墓を選んだ以上、私も同じ墓に入るつもりです。
節子と一緒なら、なんとか耐えられるでしょう。
だめなら一緒に出ればいいですし。

お盆のせいか、両親の仏壇の前でも話は両親や節子のことになりました。
そして病院や闘病の話になったのですが、私にはほとんど記憶がないことに気づきました。
兄夫婦のほうがいろいろと覚えていますし、娘のほうが覚えているのです。
話しているうちに少しずつ思いだしましたが、なぜか連続した記憶ではなく、極めて断片的なのです。
もともと私は記憶力がよくないのですが〈過去にはほとんど興味がないのです〉、それにしてもあまりにも忘れている自分をいささかいぶかしく思いました。
しかしまあ、忘れていくことは健全に歳をとっていることなのでしょう。

記憶が薄れていくと欠落した記憶を埋めるための創作が始まります。
この挽歌も、だんだん創作になっていきかねません。
もっとも今も、創作じゃないのと時々娘たちから言われます。
私の意識では、創作はないのですが、まあ人の記憶など、すべて創作かもしれません。

節子が帰省していたにもかかわらず、今年のお盆はなぜかお盆らしい気がしません。
なぜでしょうか。
軽い熱中症のせいか、最近あまり現実感がないのです。
もしかしたら、彼岸の入り口が開いたので、節子が戻ってきたのではなく、私の心が彼岸に行ってしまっているのかもしれません。
そう考えると奇妙に納得できる、この3日間です。
心ここにあらず、というような毎日を過ごしています。

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2011/08/14

■大連立発想への疑問

ねじれ国会だと法案もなかなか成立しないし、政治にスピード感が出てこないということで、大連立への賛成者が増えているようです。
しかし、私にはあまり理解できません。
ましてや「救国内閣」などと言う言葉が出てくると、背筋が少し寒くなります。
昨今の被災地支援の言葉が「葵の印籠」のように感じられて、あまり気持ちがよくありませんが、「葵の印籠」はどうもそれだけではなさそうです。

私はねじれ国会にはむしろ好意的です。
違った視点で議論されることによって、問題がよりよく見えてきます。
もっとも今の国会の議論のやり方には改善の余地は大いにあります。
議論の目的が「国民の生活」や「国家の運営」ではなく、「党のため」「自分のため」の力の見せ合いのようになっているからです。
しかし、大連理政権になったら、国会での議論の意味は低下します。
国民の見えないところで政策論議がなされ、妥協されていきやすいからです。

政治がもっとスピード感を持って、的確に動いていくことは、もちろん大事ですが、法案が成立せずに事態がなかなか進まないのは、果たしてねじれ国会のせいでしょうか。
大連立政権にしないと改善されないのでしょうか。
私には、問題のすり替えのように思います。
何しろ現在は民主党だけでも党内調整に手間取り、閣僚の中でさえ大きな意見の不一致が力を削ぎ合っているのです。

それに「救国内閣」という表現には不快さを感じます。
「救国」とは何でしょうか。
時代錯誤もはなはだしいと思います。

長く自民党の一党独裁が続きました。
そのために、議論を通して、よりよい政策に高めていくという、本来の国会は日本にはなかったのかもしれません。
そもそも党議拘束などというのも、私には民主主義になじまないように思います。
大連立を求める人は、要するに反対する人のいない体制をつくろうとしているだけでしょう。
選挙の意味も大きく変わってしまうかもしれません。

そうやって、かつての日本はどこに向かったのか。
それを思い出すと不安になります。
どこかがおかしい、そんな気がしてなりません。

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■節子への挽歌1442:愛するものたちの帰省の夏

節子
昨夜は明け方までチビ太が眠らずに、大変でした。
お医者さんからもらっている頓服薬を飲ませても、なかなか効果が出てきませんでした。
今日も暑い日です。

3.11の津波で、妻と娘と手を握り合って逃げていたのに、津波に襲われて手を放してしまい、家族を失ってしまった男性の嘆きを、何回かテレビで見ました。
昨夜もその映像に出会いました。
記録映像は時に残酷です。

その人は、「手を放してしまった」と表現しました。
「手を放したこと」への呵責が感じられます。
一緒にいた愛するものたちと一瞬にして引き裂かれてしまう。
これほどの悪夢はないでしょう。

その映像を見ていて、私はいつも思います。
「手を放した」のではなく「放し合った」のだ、と。
なぜならそれまで「手を握り合っていた」のですから。
「手を放す」と「手を放し合う」とどこが違うのか、
と問われそうですが、私にとっては大きく違います。

愛し合うものたちの行為は、如何なるものにも「意味」があります。
逃げる時に手を握り合うのも、危機を逃れる時に手を放し合うのも、です。
もしそこに「意思」が働くならば、だれもが手を話すはずはありません。
手を放し合ったのは、お互いに愛し合っていたからこそだ、と私は思います。
そして、誰かが遺された。
遺されたものの辛さは、遺されたものでなければわからないでしょう。

昨日、時評編に書いたドラマ「家族の絆」のなかの実際の取材映像で、沖縄の防空壕に爆弾を投げ入れられた中から奇跡的に生き残った人が生き残ったことの辛さを話していました。
その時の光景がいつも浮かんできて、心やすまることがないというのです。
目が覚めてしまった人には、悪夢が永遠につづくのです。

その悪夢を終わらせることができるのは、逝ってしまった愛する人だけです。
昨日から、彼岸と此岸がつながるお盆です。
愛する者たちがいまたくさん戻ってきているでしょう。
たくさんの悪夢を燃やし尽くしてほしいと願います。
この暑さは、そのせいかもしれません。

わが家にも節子が戻っています。
チビ太の興奮はそのせいかもしれません。
私もなお、「手を放してしまった」ことの悪夢から完全には解き放たれてはいないのですが。
この時期は、夢をよく見ます。

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2011/08/13

■「最後の絆~沖縄 引き裂かれた兄弟」を見ました

フジテレビの終戦記念特番の「最後の絆~沖縄 引き裂かれた兄弟」を見ました。
実話に基づくもので、途中に登場人物のインタビューなども挿入されています。
実際の映像とドラマ映像が、自然につながっていて、実に感動的でした。
「事実は小説より奇なり」という言葉を思い出す物語です。
あらすじは次のサイトをご覧いただきたいですが、大筋は沖縄の熱血勤皇隊に入った16歳の少年兵と開戦前にアメリカに出稼ぎに行ってアメリカ兵になった兄とが、激戦の沖縄で出会うという話です。
http://www.fujitv.co.jp/kizuna/story.html
テーマは、タイトルの「家族の絆」です。

たまたま昨日、このブログで「マルチチュード」について書きました。
マルチチュードは「言葉」(文化)と「通貨」(経済)という2つのメディアによって生まれる基盤がつくられていると書きました。
そして、マルチチュードは民主主義を進化させる主体にもなれば、従順な管理客体にもなりうるとも書きました。
表現はそのままではありませんが、そういう主旨のことを書いたつもりです。
しかし、重要なことを書き落としています。
それは、マルチチュードがそのいずれに向かうかを決める、もう一つの要素です。
このテレビドラマを見ていて、そのことをやはり書いておかないといけないと思いました。
その要素とは「愛」です。

愛はどこから生まれるかは、難しい問題です。
愛の原型は「家族」ではないかと思いますが、家族の愛には2種類あります。
親子愛や兄弟愛といった「存在する愛」と夫婦愛のように「発生する愛」です。
両者はいずれも家族関係に支えられていますが、その形成原理は異質です。
その両者を育む場としての家族、あるいは家庭を、どう位置づけるかによって、マルチチュードの方向性が決まってくるように思います。

このドラマは、国家を超えて、あるいは敵味方に立場は変わっても、家族の絆が勝るということを示しています。
私などは、それは当然だと思いますが、家族が敵味方に別れて戦った事例は日本の歴史の中にもたくさんありますから、当然とはいえないでしょう。
子どもたちを洗脳して親の思想を摘発したナチスの例に見るように、家族は使いようによっては、人を引き裂くための道具にもなるのです。
社会における家庭の位置、家族の役割をどう考えるか。
政治にとって、これはとても重要な問題です。
いま話題の「子ども手当」や以前さけばれた「介護の社会化」は、こういう側面から考えるとまた違って見えてきます。

経済においてはもっと重要な問題です。
これまでの市場経済から言えば、家族や家庭は無用の長物であるばかりか、市場拡大にとっては邪魔な存在でした。
ですからこの数十年、日本の家庭や家族は壊され続けてきました。
しかし、イリイチが提唱する生活のための経済、サブシシテンス経済にとっては家族や家庭がきわめて重要な意味を持っています。

このドラマは、戦争や平和だけではなく、さまざまなことを考えさせてくれたドラマでした。
しかもその主人公のお2人は、いまも健在です。
昨年は沖縄で再開しています。
とても考えさせられるドラマでした。
私は滅多にドラマは見ませんが、娘が見ていたので、ついつい見てしまいました。
たまにはドラマもいいものです。

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■節子への挽歌1441:お盆で節子が帰省しました

節子が帰省しました。
と、これがまたややこしいのです。

一応、今日は彼岸の入りなので、お墓に節子を迎えに行きました。
この日のお寺はいつもと違って、大賑わいです。
娘から誰もいないとお経の声が大きいのに人がいると声が小さいと笑われていますので、今日は大きな声で般若心経をあげました。
わが家の迎え火は、提灯ではないのです。
わが家らしく、ガラス製のキャンドルケースなのです。
最近は伝統的な提灯がいいと、私は思い出していますが、何しろわが家の仏壇からしてそうなのですが、節子は仏事に関しては、明るさを求めていました。
節子はどちらを好むでしょうか。

それはそれとして、無事、お寺からロウソクの火を自宅までもってきて、庭で迎え火です。
そしてお盆のために用意した精霊棚用のロウソクに火を移しました。
そして、そこの節子の位牌に向かって、
「節子が帰ってきたよ」
と報告したわけです。
口に出して、ようやくおかしいと気づきました。
節子はどこにいるのか。わが家の位牌壇なのかお墓なのか。
まあこれは毎年この日になると思い出す「ややこしい話」なのですが。

この期間はわが家の仏壇は、大日如来を入れたまま扉が閉ざされます。
年に1回の大日如来のお休み期間です。
節子が独占している精霊棚には、あまり食事は供えられません。
別に主義があるわけではなく、単に手を抜いているだけですが、合理主義者の節子はたぶん賛成しているでしょう。
その代わり、花はたくさん供えられています。
お供えする花は仏花ではなく、節子好みの明るい花です。
今年もまたユリを中心に供えさせてもらいました。
お隣の宮川さんも毎年、おしゃれなフラワーアレンジメントを届けてくださいますが、節子の好みを知っているのか、今年は明るいピンクを基調にしたものでした。
お盆から9月はじめの命日まで、わが家はまた花で賑わいますが、こう暑いと花の元気を維持するのが大変です。

わが家は転居したため、お寺さんはあまり来ません。
今年も忙しいようで、今日はお見えになりませんでした。
それで私が棚経として般若心経をあげました。
きっと節子は感激していることでしょう。

ところで、わが家のチビ太が夕方から興奮して吠え止みません。
帰ってきた節子を感じているのでしょうか。
節子の精霊棚とチビ太のベッドはすぐ近くなのです。
今夜は節子も眠れないかもしれません。

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2011/08/12

■SNSの両義性

中東反体制デモで「市民の新しい武器」と欧米で絶賛されたインターネット交流サイト(SNS)に対し、英政府が使用制限も辞さない姿勢を示している。
こんな記事がヤフーのニュースに出ていました。
英警察によると、神出鬼没の暴徒はSNSで「略奪スポット」を知らせ合い当局の裏をかくように破壊を繰り広げた。英紙ガーディアンによれば、SNSや携帯端末の登場で「街の不良は数年前には考えられなかった強力な通信手段を手に入れた」(野党労働党議員)と指摘する声も上がっている。
ただ、AFP通信によると、SNSを使って暴徒の写真を送信し合うなど市民が自衛に利用する例もあった、とも書かれています。

こうした英国のSNSの使用制限は成功することは難しいでしょうし、そうした動きへの批判も一方では広がっているようです。

この記事を読んで、私が思い出したのは、ネグリの「マルチチュード」です。
まさにマルチチュードにとっての岐路が見えてきたような気がします。
マルチチュードは、もともとは「大衆」に近い意味の言葉のようですが、ネグリはそれに現代的な意味合いを込めています。
異質な生活や価値観を持ったバラバラの存在としてある個人が、その特異性を保持したまま、ある意思を持ち出し、行動を起こし始める。
これが、私の理解している「マルチチュード」です。
異質な個人をつなげ、その全体に意思を与え、動きを方向づけるのが「誰か」(ネグリはそれを「政治的プロジェクト」といいます)によって、マルチチュードは、変革(反乱)の主体にも管理される搾取の客体にもなりえます。
前者の場合には、マルチチュードは能動的な社会的主体になりますが、後者の場合は無機質な機械的存在になりかねません。
しかし、いずれの場合も、マルチチュードを束ねていくのは、「言語」であり服装やしぐさです。
個人間のコミュニケーション様式も大きな影響を与えます。
前者の場合は、現体制の権力との対決の場面が必ずあります。
ネグリは、そうしたことこそが異質の存在であるマルチチュードの一体感を高めるといいます。
「催涙ガスの刺激臭が五感を鋭敏にし、路上での警察との衝突が怒りの血を全身にたぎらせ、もはやその強度を爆発寸前のところにまで高めるのだ。こうして極限まで強化された共は、ついに人間学的変容を引き起こし、闘いのなかから新しい人類=人間性が出現するのである」と、ネグリはその著書で書いています。
そして、「殉教」行為が始まります。
こうしたことは、イラク戦争で私たちは何回も映像に触れています。
イラク戦争の契機になった9.11そのものも「殉教」によって引き起こされたのです。

マルチチュードのメンバーが、自らの生活や価値観を変えずに一つの意思と行動を可能にしたのは、インターネットに支えられたこの数年のITの進化のおかげですが、もう一つ見落とせないのは経済の均質化です。
かつては多様な働き方、生き方がありましたが、いまや経済という枠組みの中で、労働は「雇用労働」になり、生活をつなげるグローバルな記号になってしまったのです。
つまり、つながり方はともかく、つながりやすくなったということです。
「労働」は、もう一つの「言語」なのです。
多種多様な異質によって行動的に創発される集合的知性、つまりその意味でのマルチチュードは、ある意味で「新しい生命」とも考えられます。
各地で起こっている「反乱」や「暴動」が、これからどう進化していくのか。
とても興味があります。

1982年に、「21世紀は真心の時代」という小論を書きました。
http://homepage2.nifty.com/CWS/magokoro.htm
その書き出しは「反乱の時代」でした。
40年して漸く、21世紀が見えてきました。
私には、ですが。

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■節子への挽歌1440:曼荼羅のおどり

節子
昨夜はチビ太〈16歳の老犬〉に起こされて、真夜中、彼に付き合って起きていました。
そばにいないと鳴くので、彼の近くで先日録画した「空海 曼荼羅の宇宙」を見ました。
魅了されました。
チビ太どころではなく、気がついたらチビ太は寝ていました。
もしかしたら、節子の時の私の看病も、こんなだったのでしょうか。
大いに反省させられました。

魅了されたのは曼荼羅の前で踊るダンサーの森山開次さんです。
彼は空海が修行した地で空海が仰ぎ見た星空を追体験したり、さまざまな曼荼羅に触れたりしながら、踊りを生み出していくのですが、その過程で曼荼羅の意味が解き明かされていきます。

私が感動したのは、奈良国立博物館にある子島曼荼羅です。
紺の綾地に金と銀で描かれた両界曼荼羅です。
その前で、森山さんは、曼荼羅が心のなかまで包み込んでいくような気がすると話していましたが、テレビ画像からでさえ、そう感じました。

曼荼羅の仏と一体化したような森山さんの「おどり」は、私には少し違和感のあるものもありましたが、魅了されました。
曼荼羅世界は仏たちの饗宴だったことを、改めて実感させてもらいました。
そして曼荼羅に、これまでにない親しみを感じました。

森山さんは、みずからのおどりについて、こう話していました。

やっぱり私は人間だし、ほとけの踊りをしたいとは思わなくて、いま感じている等身大の自分がそこに向き合って出てくる感情を隠さないで、悲しいことや醜い心や、いろんな気持ちを出していきたい。
とても共感できる言葉であり、また森山さんのおどりには、確かにそれが感じられました。
「怒り」も、恐ろしいまでに見事に演じられていました。
同時に、私には嘆きも感じられました。

悲しみ、醜さ、喜び、怒り、嘆き。
曼荼羅には、そうしたすべてが仏たちによって込められているようです。
そして、その曼荼羅の世界は、まさに私が生きている、この世界です。

森山さんのようなすばらしいおどりは、私には出来ませんが、その時々に湧き上がってくるさまざまな感情を素直に出しながら、無邪気なほとけたちと共にありたいと思いました。

明日は節子の迎え火です。

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2011/08/11

■節子への挽歌1439:私だけの悲しみ

友人が体調を崩しました。
なにやらややこしい病名で、身体が自由に動かなくなっているそうです。
電話で、服を着替えるのに1時間もかかってしまう。これまで身体の不自由になった高齢の父に無理を強いていたことに気づいた、というようなこと言ってきました。
体験しないとわからないことはたくさんあります。
いや、すべてがそうなのです。
しかも、その「体験」は人によって違いますから、実は人の気持ちなど、わかるはずもないのです。
そういう認識があって初めて、他者への思いが通じ合えるのかもしれません。

私の悲しみは、私だけのものです。
しかし、だれかにわかってもらいたいという気持ちがどこかにあります。
そして同時に、誰にもわかるはずがないという、怒りのような気持ちもあるのです。
一番安堵できるのは、私の悲しみを誰かがわかってくれた時ではありません。
私が誰かの悲しみを少しだけわかったような気持ちになった時なのです。
私だけの悲しみを守りながらも、その世界を広げられたと思えるからです。
大切なのは「自動詞」なのです。
悲しみの世界の中では、私が常に主役でありたいのです。

私だけの悲しみ、って、しかしなにか「少女趣味」ですね。
俺だけの哀しみ、といえば、男らしいでしょうか。
まあそんなことはどうでもいいのですが、最近、少しずつ悲しみの意味がわかってきたような気がします。
独りよがりといえばそうなのですが、何だか少しずつすっきりしてきた気がします。

最近、悲しみの話が続きました。
そろそろ悲しみの世界から抜けないといけないのですが、
しかし最近なにやらとても「悲しい」のです。
お盆が近いからなのか、8月だからなのか。
その悲しみを「共にする」節子がいないのが、どうも理解できないのですが。

ライムさんがコメントに書き込んでくれました。
素直に心に入りました。
ありがとうございました。

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■セミとカマキリ、もしくは正義と悪行

いま起こった事件です。
夜なのに、外でセミの鳴き声がします。
それも元気のない中途半端な鳴き方です。
なかなか鳴き止まないので外に出てみました。
探してみると暗闇の茂みでカマキリにアブラゼミが捕まっていました。
反射的にカマキリをたたいたら、セミを手放しましたが、セミは元気がなく飛べません。
それで離れた樹木にセミをとまらせました。

とまあ、こんなことなのですが、私がやったことは正しかったのか。
セミは一命を取り留めましたが、カマキリはせっかくの獲物を奪われたわけです。
セミにとっては私は命の恩人ですが、カマキリにとっては私は強盗です。
正義と悪行は立場によって変わるものです。
瑣末な事件なのですが、どうも気分がすっきりしません。

昨日のパスカルの正義論を思い出します、
しかし、私がカマキリをたたいたのは反射的な行動でした。
生命を奪われそうなものがいれば、誰もが起こす行動でしょう。
正義だとか強盗だとかは、まるっきり頭にはありません。まあ当然ですが。
しかし、相手がセミとカマキリでなかったらどうでしょうか。

9.11事件の後、ブッシュ大統領は、「やつらを捕まえるか、殺すかだ」と述べました。
ビン・ラーディンを国際裁判にもかけずに処刑したオバマ大統領は、「正義が執行された」と述べました。
そして日本の政府は、それに異議申し立てもせずに、応援したのです。
国家であれば、こんなことは日常茶飯事なのでしょう。
外交面だけでなく、内政においても、たぶんよくある話です。
そこに国家の特徴があるわけですが、どうもこうした国家の事件と先ほど体験したセミとカマキリへの私の介入事件との間にもまた、同じようなことが連続的にあることに気づきました。
つまり私はカマキリにだけではなく、人に対しても、あるいは組織や制度に対しても、同じようなことをやっているのではないかと思います。
注意しなければいけません。独善的な正義感に襲われかねないからです。

今回の「事件」の救いは、反射的行動だったことです。
反射的な行動は、たぶん生命に埋め込まれた自然な行為ですから、生態系的にたぶん合理的なのです。
小賢しい「正義論」は無縁な、自然の行動です。
みんなが自然に行動しだすと、カマキリは滅亡しかねませんが、たぶん人によっては、カマキリを応援するように仕組まれているのだと思います。
小さな事件ですが、実に多くのことを考えさせられます。

しかし、こういうように考えを広げていくのが、小賢しさなのでしょうね。
いずれにしろとても後味の悪い事件でした。
セミを助けたという気にはなれませんね。

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2011/08/10

■節子への挽歌1438:4回目のお盆が来ます

節子
節子のお盆の帰省が近づきました。
節子だけならいいですが、いつ、お坊さんやらだれかが来ないとも限りません。
それで、娘と一緒に仏壇の掃除をしました。
節子の友達からの手紙が何通かたまっていたので、整理しました。
節子と仲良しだった勝っちゃんからの絵手紙もありました。

掃除を終えて、パソコンを開きました。
挽歌のコメント欄に、その勝っちゃんからの投稿が書き込まれていました。
節子に関しては、こういう偶然の一致がよく起こります。

節ちゃんが亡くなられて四回目のお盆が来ましたね。
いつまで経っても忘れられません。

そうか、4回目なんだ、と思いました。
節子がいなくなってから、時間の感覚があまりなくなっています。
節子がいなくなったのが昨日のようにも感じられますし、いなくなってからもう何百年も過ぎてしまったように思うこともあります。
何百年というのはおかしいのですが、節子と一緒だったのは「前世」だったような思いに捉われることがあるのです。
逆に、もしかしたら明日、節子が戻ってくるかもしれない気がすることもあります。
私の中では、時間の流れが乱れてしまっているわけです。

4回目のお盆。
いつまで経っても忘れずに、思い出してくれる人が、節子には私のほかにもいるのです。
節子は幸せ者なのです。
勝っちゃんが思い出すのはお盆だけではありません。
私の記憶では、勝っちゃんはいつも節子の誕生日を覚えていて、電話や手紙をくれていたように思います。
節子の誕生日は「節分」だったので思い出しやすいから、というような話を聞いたことがあります。
それに引き換え、節子は勝っちゃんの誕生日を忘れがちで、来年は忘れないようにしなくちゃ、と言っていたのを覚えています。
なんとまあ節子は薄情者だったことか。
しかし「あばたもえくぼ」というように、惚れてしまうとそういう欠点までもがなんとなく好きになってしまうものなのです。
いまから思えば、節子は欠点が多かった。
にもかかわらず、なんで好きになってしまったのか。
愛とは不思議なものです。

お盆で節子が帰省してくるのであれば、少しシャキッとしなければいけませんが、最近はいささか夏バテです。
節子が帰省してきたら、元気が出るかもしれませんが。

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■イギリスでの暴動が示唆するもの

ロンドンの若者たちの暴動のニュースには驚きました。
パリだったらそうは驚きませんが、何しろロンドンですから。
発端は、警察官による黒人射殺事件のようですが、おそらくイギリスもまた経済に暗雲が立ち込めているのでしょう。
いつの時代も、暴動の背景には経済があります。

国家への異議申し立てが世界的に広がったのは1960年代から70年代にかけてでした。
そこから「国家制度」の変化が起こるのかと思っていましたが、むしろグロバリゼーションの進行に伴い、国家体制は強固になったような気がします。
ただし、国家を統治するのは主権者の国民ではなく、金融に変わりました。
生活の経済から金融の経済への変質です。
そして、近代国家と資本主義は、実に相性がいい事が次第にわかってきました。
資本は国家を解体していくだろうと思っていましたが、資本は見事に国家制度を傘下におさめ、利用したのです。

そうした状況の中で、また1960年代のような動きになっていくのでしょうか。
その可能性は低いと思いますが、インターネットの広がりの中で何とも言えない気もします。

最近、読んだ坂本義和さんの自伝的記録「人間と国家」は次の引用で始まります。

君は川の向こう側に住んでいるではないか。友よ、もし君がこちら側に住んでいたら、僕は人殺しになるだろうし、君をこんなふうに殺すことは不正になるだろう。だが君が向こう側に住んでいる以上、僕は勇士であり、僕のすることは正義なのだ。
パスカルの文章だそうです。
暴動を起こした若者たちがいるのは、どちら側なのでしょうか。
燃え上がる炎をみながら、この文章が思い出しました。
中近東でも若者たちが生命をかけて戦っています。
あれは「国家」のためなのか、「国家」を超えるためなのか。
いずれにしても、その騒乱のなかで戦っている前線の若者たちは、どちらの側にいようと、たぶん「正義」を行っているのです。
でもどこかおかしい。
もしかしたら、岸を分ける線が違うのではないかという気がしてなりません。
「政治」ではなく「経済」の目で考えると、世界の騒動は違ったものになるのかもしれません。

ロンドンの暴動と円高は、どうつながっているのでしょうか。

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2011/08/09

■節子への挽歌1437:「常在悲感」

仏教の話が続いたついでに、もう1回だけ。
「常懐悲感、心遂醍悟」の話が出てくる法華経寿量品には、もう一つ有名な言葉があります。
「常在霊鷲山」です。
霊鷲山は、ブッダが法華経を説いた聖山ですが、ブッダの寿命は永遠であり、常に霊鷲山に在って説法を続けている、というのです。
空海がいまなお、高野山の奥の院で衆生の救いを念じているのも、同じことかもしれません。

仏教の心を説き続けている紀野一義さんは、「常在霊鷲山」と同じように、「常懐悲感」ではなく「常在悲感」でなくてはいけないと言います。
「常懐悲感」、悲感を懐く(いだく)というのでは、私と悲感は別ものになります。
しかし、「常在悲感」であれば、私は悲感の中にある、つまり悲感と私はひとつということになる、というのです。
理屈っぽく感じるかもしれませんが、深い悲感を体験すると、そのことがよくわかります。
悲感は、私そのもの。いまの私には違和感なく納得できます。

だから何だと言われそうですね。
まだうまく説明できませんが、たとえば、悲感は切り離せないということです。
懐いている悲感は忘れることも捨てることもできるでしょうが、「常在悲感」の悲感は捨てることもできません。
また、「常在悲感」は、私は常に悲感のなかに在る、ということであって、悲感が常に私の中に在るということではありません。
ですから、悲感から抜け出ることもできないのです。

なにやら「悲しい人生」と思われるかもしれませんが、そうではありません。
悲感の世界にも、喜びも楽しさもある。
むしろ、ちょっとした優しさや気遣いに感激できるようになって、喜びは多くなるかもしれません。
「悲感の世界」は、細やかな感情の機微が見えてくる、むしろ豊かな世界なのです。
「常懐悲感」の場合は、自分の懐く悲感だけが重く感じられて、世界が見えなくなることもあるかもしれませんが、「常在悲感」にある人は、悲感を分かち合う優しさが生まれるのです。

私がこういう心境になってきたのは、ついこの数か月のことです。
いえ、今も時々、自分の「悲感」の重さに潰されそうになることもないわけではありません。
しかし、3.11の東日本大震災で生まれた多くの人たちの「悲感」に触れて、「悲感の世界」がようやく見えてきたような気がしています。

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2011/08/08

■システム時代の首相の座

辞めるべき首相がまだ辞めずにいます。
辞めない首相も問題ですが、辞めさせられない政治家たちも問題です。
仕組みが悪いのでしょうか。
そうではなくて、辞めなくても事態はそう変わらないからかもしれません。
そう公言している人も少なくありません。
もしそれが当たっているのであれば、首相さえもが、誰がやろうと変わらない「歯車」になっているということです。
それが「システムの時代」の特徴かもしれません。

しかし、システムの外側には必ずシステムを動かしている人がいます。
それが見えなくなり、わからなくなることで、システムによる人の支配がはじまりますが、日本の政治のレベルであれば、そこまでは複雑ではないでしょう。
そこで「陰謀論」が横行するわけですが、陰謀があるかどうかはともかく、現在のシステムから「利益」を受けている人は、それが「割り勘負けしている利益」であったとしても、それに気づきませんから、不満は言いますが、本気で現状を変えようとは動きません。
それが「保守層」といわれる体制の基盤です。
「保守層」の多くは「割り勘負け」していますが、それに気づくためには、システムの全貌がある程度わからなければいけないのと一時的な利益の減少を受容できる余裕がなければいけません。
歴史を見ればわかりますが、変革を起こしたのは、そうした「余裕」がある人たちであって、システム(体制)の一番の犠牲者は、結果的には体制を維持する側から抜け出せません。

日本人の多くは、「余裕」をなくした「歯車」になってしまったのでしょうか。
そう思いたくなることはよくあります。
歯車は、不満を言いながらも結果として体制を維持する側にあることはいうまでもありません。
たとえば、菅首相に代わる人がいないと多くの人は思っているようです。
支持する政党がないと言う人も多いです。
こうした意見は体制を維持する作用を果たします。
そういう人に限って、たぶん国会中継も見ないでしょうし,政治についての集会にも出ないのではないかと思います。
そんな時間があれば、サッカーを観戦し、経済活動に注力するでしょう。
そういう発言をする人は、要するに政治への当事者意識を持っていない人と考えてもいいでしょう。

正しくは、「だれが次の首相に相応しいかわからない」「どの政党を支持していいかわからない」と言うべきです。
要するに、政治を他人任せにして、そうした問題を考える努力をしていないだけの話です。
しかし、そういう「生き方」が、いま問われているのです。

問題は、常に自らにあると考えると、世界は変わります。
昨日、ポーランド映画の「カティンの森」を観ました。
感動しました。
最近の私の生き方を反省しました。
生き方はまだ変えられそうです。

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■節子への挽歌1436:慈悲を込めた怒り

節子
上野の国立博物館で「空海と密教美術展」をやっています。
仏像はお寺で見たいという思いが強いため行く気はなかったのですが、ユカのお勧めもあって行くことにしました。
まだ行ってはいないのですが、昨日からテレビで3夜連続の「空海」特集をしています。
その第1回目は「仏像革命」。
東寺の立体曼荼羅にある怒りの表情の明王がテーマでした。
空海がもたらした、怒りの仏像の意味が、さまざまに語られていました。

慈愛に満ちた穏やかな表情の仏像と怒りの表情の明王像とは、たしかに対照的です。
如来を守る四天王像もまた、時に怒りの表情を見せています。
それは仏が守る平安な世界に攻め入る「仏ならざるもの」への威嚇だと考えられますが、私はずっとそれに対して違和感を持っていました。
山川草木悉皆仏性というのであれば、「仏ならざるもの」は存在しないはずです。
帝釈天は誰と戦っているのか。
一説では阿修羅ですが、阿修羅もまた仏の世界にいるものです。

こうした疑問は、しかし解くべき問題ではないのかもしれません。
なぜなら、山川草木悉皆仏性とは、山川草木悉皆魔性をも含意するからです。
さらにいえば、仏性と魔性とは、コインの表裏、不一不二なのです。
こういう話こそ、いま必要だと思いますが、救いを説く僧尼たちは、あまり語りません。

仏師の松本明慶さんは、「怒り」の表情に慈悲を感ずる人もいるといいます。
その怒りの表情の先が、自らの「敵」に向けられていると感ずれば、むしろその「怒り」は「慈悲」に通ずるというのです。
たしかに言われてみればその通りです。
その怒りは、自らを守ってくれる意志の強さを表わしていることになります。
つまり、仏が向いているのは、拝む私なのか、私の顔が向いている先なのか。
それによって、仏の表情の意味は一変するわけです。

しかし、空海が求めた「怒り」の表情は、それとはまた違っていたようです。
番組の語り手でもある作家の夢枕漠さんは、一番の悲しさは愛する人を亡くした時だと言います。
しかも、それが病気や天災であれば、その悲しみや怒りを向ける矛先がない。
慈悲の表情だけでは、そうした悲しみは救えないというのです。

仏の怒りが向けられているのは、拝む人、つまり私ではないか。
そして、その怒りは、私の深い悲しみ、深い怒りに、同調してくれているのではないか。
つまり、怒りの矛先がわからない私に代わって憤怒の表情を示してくれているのではないか。
だからこそ、恐い顔の不動明王は、心を鎮めてくれる存在なのです。
そこにあるのは、慈悲を込めた怒りなのです。

「一番の悲しみ」を体験したおかげか、こうしたことが少しずつわかってきて、怒りの表情の中に慈悲を、慈悲の表情の中に、怒りを感じられるようになって来ました。

いまなおわからないのは、大笑いしている仏の顔です。
まだ笑いの中に慈悲を読み解く事ができずにいます。

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2011/08/07

■節子への挽歌1435:「カティンの森」

節子
アンジェイ・ワイダの「カティンの森」をDVDで観ました。
ワイダの映画を観るのは30年ぶりでしょうか。
学生の頃の「地下水道」や「灰とダイヤモンド」の印象が強烈過ぎて、その後観た「大理石の男」(面白くなかったです)以来、観る気にはなれませんでした。
それにしても、「地下水道」は今もなお、思い出しただけで心が冷えてくるような映画でした。

節子と結婚してからは、あまり映画には行かなくなりました。
それまで奇妙な魅力を感じていた、M.アントニオーニやイングマル・ベルイマンの映画に興味を失ったのは、たぶん節子と結婚したからだと思います。
映画よりも現実の世界のほうが、私を魅了しだしたわけです。
それに、節子は映画という虚構の論理の世界よりも、美術展やコンサートといった直接体験できる感性の世界が好きでした。

「カティンの森」は、私にとっては、その事件そのものへの関心がありました。
ご存知の方も多いと思いますが、20万人を超えるポーランドの将校や徴兵者を含む軍人たちがカティンの森で虐殺された事件です。
当初、それはナチスの仕業とされていたのですが、真相はソ連の人民委員会でした。
それに関しては、私は何の怒りも感じないのですが、事実を知りながら隠蔽したアメリカのルーズベルトなどの国家政権へは怒りを感じます。
真相を公開しようとした人たちは不幸な目に合わされています。
政府は、いつの時代も同じです。
ヒトラーだけが例外だったわけではありません。

この映画には、事実に従って毅然と生きた(あるいは死んだ)人たちが描かれています。
そのそれぞれの生き方には、背筋が震えました。
私が揺さぶられたのは、将軍の夫人ローザの生き方でした。
愛よりも真実に、生命よりも真実に。
誠実に生きている人にとっては、真実こそが、すべての愛の、そして生命の根源なのです。
自分の生き方を、振り返らないわけには行きません。

「カティンの森」の感想は、挽歌よりも時評で書くべき題材ですが、節子に話したい気持ちが湧き上がり、挽歌に書いてしまいました。
この映画は、「愛」を深く考えさせる映画です。
伴侶への愛、兄への愛、父への愛、友への愛。
悲しさの中でこそ、愛はその真実の姿を表します。
そして、愛するということの悲しさを教えてくれるのです。
ワイダに何があったのでしょうか。

気になりながら、観る気になれなかった「カティンの森」でしたが、思い切って観てよかったです。
映画館ではまだ観る勇気はありませんが。

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■ハンマーカンマー異変

昨日、私のブログにコメントがありました。
「先見の明ありですね 笑」
それでブログを開いたら、アクセスが異常に高いのです。
私のブログは面白さがないので、毎日のアクセス数は400~500どまりですが、一昨日と昨日は連続して3000を超しています。
調べてみたら、「ハンマーカンマー」の記事へのアクセスが原因です。

「ハンマーカンマー」は2008年の7月にブログで記事を書きました。
その時も実はアクセスが増えました。
今回は、その時以上のアクセスです。

このブログの読者には、「ハンマーカンマー」ってなんだという方が多いでしょう。
知らなくて当然なのが、「ハンマーカンマー」です。
知っている必要もないし、調べることなど不要です。
しかし、そういわれると知りたくなるかもしれませんね。
よほどで暇であれば、私のブログを読んでみてください

もっとも、それを読んでも肝心の「ハンマーカンマー」は相変わらずわからないでしょう。
でもまあ、そのあたりで忘れたほうがいいでしょう。
忘れられませんか。
それでは仕方ありません。
「ハンマーカンマー」のユーチューブを見るしかありません。
笑い転げるか、どこが面白いのかと怒り出すかの、いずれかになるはずです。
ではどうぞ。

どちらでしたか?

「ハンマーカンマーの法則」に納得した人がいたら、ぜひお会いしたいです。
そういう天才バガボンのお父さんのような人と、私は知り合いになりたいです。
いや、知り合いにならないほうがいいかもしれませんね、
なぜなら「ハンマーカンマー」ですから。

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2011/08/06

■節子への挽歌1434:「身体」のある言葉

節子
生死や愛に関わることについて、いろんな人がいろいろと言いますが、私にはピンと来ることがあまりありません。
特に「仏教者」や「知識人」と言われる人の話の多くは、素直には心に入ってきません。
これは、私の性格の悪さのためかもしれませんが、「わかったようなこと」を言われると、ついつい反発したくなります。
しかし、同じことを、実際に体験した人の口から聴くと共感できます。
言葉は発話者と一体になって、意味を形成するということかもしれません。

言葉は「いのち」を持っているという言霊思想は前にも書きましたが、
言葉は「身体」も持っているように思います。
つまり、「節子の言葉」と「私の言葉」は、同じ言葉でも、その意味や効果は違うものだということです。
時々、節子ならこう言うだろうなと思うことがあります。
その時には、必ず節子の姿や表情が対になって思い出されます。
声は聞こえませんが、節子の身体は感じます。

言い換えると、「身体」のない言葉ほど、虚しい言葉はありません。
私が、「宗教者」や「知識人」の話に反発を感ずるのは、それが身体を持たない言葉に感ずるからです。
自分の身体から遊離して、誰かのため、聴き手のために、語られている気がするからです。
読み手のために書かれた言葉も、私には虚しく響きます。
そういう言葉には、「いのち」も感じません。

言葉の出発点は、身体的体験だろうと思いますが、体験がなくても語れるのが、情報社会、知識社会かもしれません。
しかし、知識も情報も、やはり自らの身体を通さなければ、本当の言葉にはならないような気がします。
そうしたことを十分に行わずに、したり顔でお説教されると、「あなたは実体験されたのですか」と、ついつい訊きたくなります。
ちなみに、シッタルダもイエスも、聖書や経典を残したわけではなく、実践を残しただけで最近、「仏教」ではなく「ブッダの言葉」と言うような表現が使われだしていますが、身体と切り離されて着飾ったブッダの言葉は、経典とさほど変わらないでしょう。

ローマ時代の哲学者キケロが、「時間がやわらげてくれぬような悲しみはひとつもない」という言葉を残しているそうですが、この言葉は、たぶん自らの体験談なのではないかと思います。
だから2000年たった今にまで残っているわけです。
ブッダにも同じような、いまもなお生きている言葉があるのかもしれません。
しかし、もしあるとしても、したり顔で解説してほしくないと、性格の悪い私は思います。

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■広島での菅首相のスピーチに気分が悪くなりました

今朝の広島での原爆死没者慰霊式・平和祈念式をテレビで見ていたら、最後に菅首相のスピーチがありました。
聴いていて、とても気分が悪くなりました。
私には間違いなく場違いなものでした。
だれからもブーイングが起きなかったのか不思議に感じました。

ネットで調べたら、こんな記事がありました。

今後のエネルギー政策について「原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指していく」と、改めて表明した。犠牲者の追悼が目的の式典でエネルギー政策に触れるのは異例。深刻な放射能漏れを起こした福島第1原発事故を受け、首相の強い意向で盛り込んだ。
昨日までの投稿では、菅首相が政治パフォーマンスに利用しようとしているのではないかとの疑念が被爆者から上がっている、という記事もありました。
私が見た限りでは、まさにそうとしか思えませんでした。
祈りの気持ちは、私の場合はまったく汚された気がして、実に不快でした。
被爆者の一人は「静かに祈らせてほしい」と訴えているという記事も読みましたが、私なら石を投げたいところです。
少なくとも退席します。

菅首相は脱原発を目指しているという論調が少なくありません。
私には全くそうは思えません。
脱原発であろうと減原発であろうと、そんなことはどうでもいいのですが、大切なことは原発をどう捉えるかです。
もし原爆と原発の繋がりを想像できるのであれば、原発を否定すべきです。
否定するのであれば、それを海外に輸出することなどありえません。
国内で稼動している原発を即座に止めることは難しいでしょうが、問題はそうした技術論ではなく原発をどう捉えるかです。
自らの政治的立場を守るために原発を利用することほど、許されないことはありません。

私は原発を推進する考えには反対ですが、その信念を否定することはできません。
どれが正しいかは、絶対的なものではないからです。
しかしかつては原発を支持していたのに、状況が変わったから否定するという人は許せません。
しかも国内では否定するが海外であれば認めるなどという、卑しさには怒りを感じます。
自分たちはのうのうとワシントンにいて、貧しい若者をイラクやアフガンに追いやったアメリカのブッシュやオバマとなんら変わりません。

いつもは、そこからいろいろと考えさせられる広島の式典が、私には汚された感じです。
不愉快な日になりました。

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2011/08/05

■節子への挽歌1433:常懐悲感、心遂醍悟

常懐悲感、心遂醍悟。
法華経寿量品にある有名なことばです。
常に悲感をいだいて、心ついに醒悟する、と訓読みします。
人は絶えず悲感に打たれることによって眼をさますことができる。
幸福のなかにどっぷりつかって、積極的な生きかたを忘れてしまった人間に必要なのは、悲感である、というわけです。

悲感を胸中に抱きながら生きることは辛いことだろうと、私も以前は思っていました。
もちろん辛いことではあるのですが、悲感と無縁に生きることと比べて、どちらを選ぶかと問われたら、今の私は迷います。

法華経の解説書を読むと、こういうようなことが書かれています。
人は、悲感に囚われると、なんとかしてそれから逃れようとする。
たとえば、その悲しみを他人に話すことによって悲しみを消そうとする。
こういうものを愚痴という。
しかし、愚痴をこぼしたって、事態は良くならない。かえつて悪くなる。
むしろ、悲感を自分の胸のなかに抱いていることが大切だ。
その悲感があなたの心を浄化する。
悲感は、冬のすみきった寒気のように、痛いほどに鋭いが、その鋭さが心地よく気持ちをほぐしてくれる。
そして、心を醒めさせてくれる。

今の私には納得できます。
だとしたら、この挽歌は「愚痴」なのか。

空海に、彼の愛弟子の智泉が早逝した時の逸話が残っています。
空海は、その悼文の中で、こう書いているのです。
「哀れなるかな。哀れの中の哀れなり。悲しきかな、悲しきかな、悲の中の悲なり。
(中略)しかれどもなお夢夜の別れ、不覚の涙に忍ばれず」

悲しさは思い切り表現してもいいのです。
しかし、表現してもそこからは逃れられません。
あとはただ、常懐悲感。
悲感を抱きながら生きることが、いつしか生きる意味を生み出してくれるのです。
悲感しながらも、悲感から目を逸らさずに、しかし素直に生きることに、少し慣れてきたような気もします。

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■節子への挽歌1432:挽歌をかけなかった言い訳

節子
また昨日は挽歌が書けませんでした。
湯島についた途端に、来客などで時間の合間が全くなくなり、昼食さえも食べる時間がない1日でした。
節子が元気だったころは、いつもこうでした。
あの頃は、本当にいろんな人たちが湯島に来ました。
最近は、あまり人は来ないですが、それでも来る日は4組も5組もやってきます。
別に仕事の話でもないのですが、身の上相談というわけでもありません。
湯島の居心地のせいか、長居する人も少なくありませんが、それで結局、次の来客が来るまで話してしまい、私はトイレに行く時間もないほどなのです。
困ったものです。
中村さんは、こういう生活に戻れといいましたが、身が持ちません。
やはり人に会うのは週に3回どまりにしたほうがよさそうです。

それにしても、昔はよくこんな生活をしていたものです。
仕事をする暇ができないのは、当然といえば当然でした。
しかし、節子は、そうした私のおかしな生活を支えてくれました。
収入がなくても、何の苦情も言うことなく。
美味しいレストランで食事をすることも、ブランド品を買うこともなく、わがままな私に付き合ってくれたわけです。
感謝しなければいけません。
もし苦労をかけたとしたら、反省しなければいけません。
もっとも、私が「反省する」といっても、節子は「あなたの言葉は軽すぎる」といつも笑っていましたが。

昨日は9人の人が来てくれましたが、節子が知っている人は一人だけでした。
私の付き合いの世界も変わりつつあるのかもしれません。
湯島に来る人も、節子を知らない人が増えてきているというわけです。
私が前に進んでいるという言い方もできますが、節子がいない私には付き合いたくないという人がいるのかもしれません。
ぷっつり来なくなった人もいます。
なにしろ4年近くたっても挽歌を書いているのですから、いい加減、愛想が尽きたと言われても仕方ありません。
それに、愛する人を失った人とは付き合いにくいものですし。

節子と出会った前後で私が変わったように、節子と別れた前後で私が変わったことは間違いないでしょう。
人は付き合う相手で人柄がわかるといいますが、私の人柄はどう変わったのでしょうか。
自分では「変わった」という意識はあるようでないのですが、外から見るとどうなのでしょうか。
やはり「付き合いにくい人」になったのでしょうか。
ちょっと「性格が悪くなった」という自覚はあるのですが。

今日は午前中は病院でしたが、1時からまた来客が続きます、

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2011/08/04

■小さな理と大きな理

近代を発展させてきた基本は「理性」と「論理」でした。
それらの「理」に適うこと、つまり「合理的」であることが大切な判断基準でした。
しかし、これから大切なのは、その「理」を超えることではないかと思います。
少なくとも「小さな世界の中での論理」や「個人の世界での理性」の限界を認識する事は大切なような気がします。
個人が考える「理性」や「論理」は、たかが知れているように思います。

日本の政治が迷走しているのは、内部的な「理」に呪縛されているからかもしれません。
そこには「大きな理」は感じられません。
昨今の原発論議に関しても、「小さな理」が不寛容にぶつかりあっているように思います。
私のところに配信される平和のメーリングリストを読んでいて感ずるのは、発言者の「思いの深さ」が逆に発想の根底となる「理」の世界を狭めているように思うことも少なくありません。
まあ俗な言葉を使えば、「内ゲバ」的な応酬さえ散見されます。
それではせっかくのエネルギーと知恵が、瑣末な相違で消耗し合いがちです。

しかしこうしたことは、組織活動の常かもしれません。
組織は「ノイズ」を嫌いますが、「大きな理」よりも「小さな理」のほうが、ノイズを起こしやすいからです。
「大きな理」は外を向いていますが、「小さな理」は内部の相互関係において顕在化しがちです。

「大きな理」は感情を支え、感情に支えられますが、「小さな理」は、時に「感情」に振り回されます。
私は感情を包含しない理性には信頼を持てませんが、感情に支配された理性もまた共感し難いです。

なにやらまた訳のわからないことを書きましたが、昨今のさまざまな動きに、昔考えていたことを思い出して、書いてしまいました。
「小さな理」を装った「私的な感情」が横行しているのが、どうにもやりきれません。
感情は、もっと大らかでありたいものです。

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2011/08/03

■節子への挽歌1431:丸くなければスイカではない

時評編に書きましたが、近くの八百屋さんでスイカを買ってきました。
娘にまかせておくと、いつも1/4のスイカを買ってきます。
私にとっては、切られたスイカはスイカではありません。
そういえば、「合理主義者」の節子も、丸ごとスイカはあまり買ってきませんでした。
スイカは丸くなければいけないと考えている私には実に不満でした。

なんで丸いスイカを買ってこないのかと、節子に不満を何回も言いましたが、節子は冷蔵庫に入らないとかみんなあまり食べないから残ってしまうとか言うのです。
私にとっては、何の理由にもなりません。
スイカは丸くなければいけないからです。
節子のもう一つの理由は、切ってあればおいしそうかどうかわかるというのです。
切ってみたら「はずれ」だったということもあるのが、スイカの醍醐味ではないかと私は思うのですが、節子はなにしろ「合理主義者」なのです。いやはや。
この件に関しては、私たち夫婦は最後まで折り合いが付けられませんでした。
でもやさしい節子は、そうは言っても時々は私のために丸いスイカを買ってきてはくれました。

その節子の「スイカは食べられる分量だけを買う」という文化は、不幸なことに娘たちに継承されてしまいました。
それに、娘たちはスイカ一切れで満足するのです。

そんなわけで、今日は私がスイカを買いに行ったのです。
八百屋さんの若者に、スイカは丸くないとダメだよね、と言うと、即座に彼はそうですよね、といいました。
そして付け加えました。
家に2.3個の丸いスイカが転がっていないとだめですよね。

そういえば、昔、節子の実家に行くとスイカがいくつも部屋の隅に転がっていました。
一つはバケツに冷やしていましたが、いつからスイカを冷蔵庫で冷やすようになったのでしょうか。
一瞬、2つか3つのスイカを買おうかと思いましたが、思いとどまりました。
なにしろいまは節子もいないし、余っても近所の子どもたちに声をかける勇気はありません。
節子ならやりかねませんが。

で、スイカをひとつ買って帰りました。
そしてすぐに包丁を入れました。
残念ながら余り慣れていないので、斜めに切込みが入ってしまいました。
そういえば丸いスイカを切ったことがなかったのです。
意外と難しいのは、包丁が切れないせいでしょう。いやはや。
娘と一緒に食べましたが、1/4も食べられません。
なにしろ今日はそう暑くなく、スイカ日和ではなかったのです。
それに買ってきたのが夕方だったのです。
しかたなく残りをなんとか冷蔵庫に入れました。
節子と娘から、「だからスカイは丸ごとはダメなのよ」と言われているようで、肩身が狭いです。

さてさて明日はがんばってスイカを食べなければいけません。
子どもの頃は、スイカを食べ過ぎて、お腹が重くなって立ち上がれないこともあったのですが、そんなスイカの食べ方は、もう誰もしないのでしょうね。

そういえば、節子にスイカを供えるのを忘れてしまっていました。
明日の朝、供えましょう。
丸いまま供えておけばよかったですね。

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■テレビ市況

近くの八百屋さんに寄りました。
ほどほどの大きなスイカが600円で売っていました。
お店の若者に、何でこんなに安いのかと訊いたら、安く競り落とせたからだというのです。
そして、テレビで今年はスイカが高いと言いすぎるので、なかなか売れないというのです。
実際には例年とそう違うわけでなく、逆に高値噂が需要を抑えてしまい、市場でもなかなか売れていないというのです。
それが事実かどうかはわかりませんが、彼はテレビの報道が青果にも大きな影響を与え迷惑だと言っていました。

テレビの報道が日用品の価格に大きな影響力を持っているのは、よく感じます。
ある番組で取り上げられた食材が翌日売切れてしまったりその結果、高くなっていたりすることは、私も何回か体験しています。
妻がいなくなったので、私もよくスーパーに食材の買物に行きます。
たしかに安くなっているようにも思いますが、大企業のブランド品の価格は上昇しています。
ここでも「格差社会」を感じますが、全体としては、たぶん傾向的には、じわじわと物価が上がっているように思います。

テレビ番組のスポンサー企業の商品価格とそのカテゴリーの商品全体の価格の動きとの関係を比較したら、面白い結果が出てくるのではないかと言う気がします。
テレビの持つ経済への影響力は、極めて大きなものがあります。
テレビ関係者が原発への批判ができなかったのはスポンサーの関係だということが、よく語られます。
そうしたことは、決して原発だけではありません。
市況価格は需給関係で決まるのかもしれませんが、需給関係はテレビ報道で決まるのかもしれません。
私は、テレビの影響を受けやすいタイプなので反省しなければいけません。

ちなみに、600円のスイカはおいしかったです。
ちょっと安く買いすぎたという気がしないでもないですが。

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2011/08/02

■節子への挽歌1430:その時は良い考えだと思った

前の挽歌を書いているうちに、なぜか急に行きたくなりました。
大学時代に友人と紀伊半島を無銭旅行しました。
南紀の白浜の砂浜で一夜を明かした記憶はありますが、青岸渡寺に行った記憶はありません。
あの大滝のイメージは記憶の世界にはあるのですが、私の記憶はかなり狂っていますので(記憶する習慣が昔からありません)、確実ではないのですが、那智には行っていないと思います。
那智の大滝は、見ていると観音が浮かび上がってきます。
だとしたら、会いに行かねばいけません。

同居している娘を誘ったら、「お父さんの提案は思いつきだから24時間と持たないでしょう」といなされました。
そういわれると返す言葉もありません。
その通りだからです。

私の好きな映画に「荒野の7人」という西部劇があります。
黒澤明の「七人の侍」の西部劇版です。
そこにこんな会話が出てきます。
準主役のスティーブ・マックィーンの言葉です。

裸でサボテンに抱きついた男がいた。
どうしてそんなことをしたのかと訊いたら、その時は良い考えだと思ったんだと答えた。
何ということもない話ですが、大学生の頃、この映画を観た時からずっと印象に残っている言葉です。
いささか大げさに聞えるでしょうが、私のその後の生き方に大きな影響を与えています。
その時、良い考えだと思ったら、ともかくやってみればいい、というわけです。

この話は節子には何回かした覚えがあります。
節子は私のようにこの話には感動もしなければピンとも来なかったようです。
むしろ、私には「あなたは後先を考えずに行動するから気をつけてね」と時々言っていました。
しかし、そういう節子も、娘たちのいる前で、「どうして修となんか結婚したんだろうか」と言っていましたから、まあ節子も同じようなものです。
その時は「良い考え」だと思っていたのです。
人間はみんなそうでしょう。

節子がいなくなってからも、私は、その時々に「良い考え」だと思うことに素直にしたがって生きています。
しかし、娘が言うように、「良い考え」が次々に浮かんでくるので、なかなか実現するまでに至りません。
困ったものです。

ところで、青岸渡寺もいいですが、やはり渡岸寺のほうがいいかもしれません。
それに那智はちょっと遠いですね。

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■最近の新聞はニュース記事が少ないような気がします

最近、新聞を読む時間が大幅に減りました。
その理由は、報道記事の種類が少ないからです。
文字が大きくなったこともあり、文字数はかなり減少していますが、それ以上に解説記事が増えているので、ニュース報道記事は全体としても少なくなっています。
そのせいか、取り上げる「事件」や「事実」の種類が限られてきています。
そしてその大きな「ニュース記事」も解説的なものが増え、記者が汗を書いて現場取材したものは少なくなりました。
今日も共同通信の談話捏造が報道されていますが、その類の「読み物」が増えています。
しかしそうしたものは、テレビのほうが圧倒的に情報量が多いですから、新聞で読む気にはなりません。
解説記事も雑誌のほうが読みやすいので、これも私はほとんど読みません。
そのため、新聞を読む時間は大幅に減ったわけです。

しかしもっと大きな問題があります。
かつての新聞には、小さな記事がいろいろとありました。
つまり紙面の中で取り上げられている「事件」数は、今の倍以上あったように思います。
そうした「小さな事件」はテレビでは取り上げられませんから、新聞でしか読めません。
数年前までは、私のとっての新聞の魅力はそうしたマイナーな記事でした。
地方欄にはそうした小さな記事もつい最近まで残っていましたが、それも少なくなりました。
もしかしたら現場を取材する記者の数が減ったからかもしれません。

情報量は「多様さ」と「深さ」で決まってきます。
その多様性が新聞から大きく失われていますが、その意味は甚大です。
多くの人は新聞やテレビからの情報で世界を構成していきます。
そうしたメディアが限られた事実や事件だけに絞られたらどうなるでしょうか。
世界は極めて平板なものになります。
しかし世界は実に多様なのです。
現実の世界と私たちの描く世界は、こうして別のものに育っていきます。
前にも書きましたが、いまや現実の世界と私たちが社会的に構成した世界とは、似て非なるものかもしれません。

一時期、若者向けの情報誌が小さな文字で多様な情報に溢れていた時代があります。
今も文字は小さく、盛りだくさんですが、20年前に比べれば、多様さは失われているように思います。
若者さえもが単細胞になったからかもしれません。
最近の若者は好奇心においても知識においても、薄っぺらな若者が多いように思います。
何しろテレビに出ている若者たちは、脳みそがないような、私にはサルにしか見えない生き物に進化退化かな)しています。
こんな若者には未来はなくてもいいなと、時々思いますが、まあそういうわけにもいきません。
わずかとはいえ、私と同じ種の若者もいますから。

世界の多様さが大切だと思うのであれば、新聞もテレビも報道姿勢を根本から見直す必要があるような気がします。

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■節子への挽歌1429:「渡岸」と「岸渡」

ふと思いついたのですが、節子の実家の近くにある十一面観音が住まっているのは、渡岸寺ですが、熊野の那智にあるのは青岸渡寺です。
那智は観音浄土信仰の地で、その浄土は海の向こうにあるとされていました。
青い海が、彼岸への青い岸だったのでしょうか。

「渡岸」と「岸渡」は示唆に富む組み合わせです。
「渡る岸」と「岸を渡る」とは全く意味合いが違います。
青岸渡寺の近くには補陀洛山寺があり、そこには「海を渡って浄土に行くための補陀洛渡海船が祀られています。
補陀洛は「観音浄土」のことです。
青岸渡寺は彼岸に向かって開かれていたわけです。
その彼岸は輝くような青に覆われているのでしょう。

節子は、陽光が輝く、少しさざ波のたった水面が好きでした。
わが家のキッチンからわずかばかりですが、手賀沼の湖面が見えますが、晴れた日にはその湖面が見事にキラキラと輝きます。
青ともいえず白ともいえない、その向こうを感じさせる情景です
その情景が、節子は大好きでした。
いま、節子の代わりにキッチンで珈琲を淹れていてその情景に出くわすと、節子も向こうからみているのかなといつも思います。

節子の実家の近くの渡岸寺は、向源寺の一画にあります。
といっても、いまは渡岸寺観音堂が中心になっていると思いますが。
毎回、行くたびに変化しているのでよくわかりませんが、昔の風情はなくなってきてしまいました。
もう彼岸への入り口は閉じているかもしれません。

ところで、向源寺は、もともとは光眼寺だったようです。
これまた興味をそそられる名前ですが、まあ深入りはやめましょう。

渡岸寺、「渡る岸」。
なぜここに「渡る岸」があるのか。
それは、そこにいる十一面観音に会ったら、何となく納得できるかもしれません。
あれほどの十一面観音はみたことがありません。
それに作法も違うのです。
この観音に導かれるのであれば、どこでもが「渡る岸」になるでしょう。
しかし、その十一面観音も最近は小さくなってしまい、元気がないように感じます。
見世物になってしまっているからです。
いまは人を渡岸させる力はないでしょう。

渡岸寺は最澄に所縁があるようですが、いまは真宗のお寺です。
滋賀の湖北はいうまでもなく真宗の里なのです。
節子の両親も、その本山である京都の東本願寺に納骨されていると聞いています。
しかし、節子はそこには行きません。
節子の渡岸の地は、私がいるところなのです。
そして、渡岸が完成するのは、私と一緒に「岸を渡る」時なのです。

ふと思い立って、「かんのんみち」という写真集を見たために、いささかおかしなことを書いてしまいました。
今日の手賀沼の湖面には輝きはありません。

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2011/08/01

■節子への挽歌1428:節子は悪女ではありません

挽歌1245「生き方を変える」で、
私はまだ、節子との別れで変わってしまった人生を「いいもの」とは思えずにいますが、発想を変えれば、その「価値」が見つかるかもしれません。
と書いてしまいました。
実は少し自問自答しながら書いた文章だったのですが、案の定、読者のYHさんから厳しいつっこみがありました。

発想を変えれば節子さんとの別れの「価値」を見つけることができますか?
「いいもの」と思えるようになるとほんとに考えていらっしゃるのですか?
 YHさんも、伴侶との別れを体験されたのです。
YHさんのメールを読んだ時には、怒られた気分になってしまいました。
「価値」ではなく「意味」と書けばよかったなと小賢しいことを一瞬考えましたが、指摘されていることは、そんなことではないでしょう。
そもそも「いい」とか「よくない」とかという発想そのものが間違っているのです。
「いい」とか「よくない」とかという発想は、愛する者を失ってしまうと、実際には無くなってしまいます。

しかし、節子がいなくなった後の人生が、もし不幸なものであるならば、節子は「悪女」になりかねません。
愛する私に「不幸」を残していったのですから。
もしそうであれば、節子には後ろ髪引かれるような辛い別れだったでしょう。
そして私への罪悪感が残るでしょう。
それでは快適な彼岸の生活は望めません。

節子がいなくなった後、頭では「不幸」を感じたことはあります。
節子の位牌に向かって、よく「節子のおたんこなすめ」とよく呟いたものです。
なぜ置いていってしまったのか、恨むような気持ちが起こったこともあります。
なぜ愛する者に、こんな悲しい思いをさせるのか、怒りたくもなりました。

しかし、節子がもし私が思っているような「いい女」であれば、私を不幸にするはずはありません。
節子はそんな薄情者でも自分勝手な人でもありません。
節子は、ただただ私の幸せを望んでいました。
だとしたら、節子との別れで変わってしまった人生には必ず意味があるはずです。
それを「いい人生」と思えれば、節子に感謝することはあっても、恨むことはないでしょう。

日本には言霊信仰があります。
言葉にすればそれがいつか実体を伴うようになる、という信仰です。
その信仰があればこそ、私は節子に向かって、真言を唱えます。
般若心経もあげるのです。
空海は「名はかならず体を招く。これを実相と名づく」と書き残しています。
節子がいなくなってからのことも含めて、節子との人生は「いい人生」だったと思いたいというのが、私の最近の心境です。

YHさん、これでは納得してもらえないでしょうが、少しだけ先輩である私は、そんなところに辿りついています。

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