■節子への挽歌1452:場所が語りかけてきます
昨日、国立博物館で空海展を見た後、少し暑かったのですが、上野公園を通って湯島のオフィスまで歩きました。
上野公園から寛永寺を抜けて、不忍池の端を通って30分ほどです。
この時期はハスが池を埋め尽くしています。
不忍池は節子とよく歩きました。
オフィスからの帰り道の一つだったからです。
この界隈はとても不思議な空間なのです。
まだまだ人間らしさが強く残っています。
節子と歩いていた頃とそう違っていません。
行き交う人も、実にさまざまです。
いささか「危うい人」もいますが、それも変わっていません。
節子がいなくなってから、ここを歩くのは2回目です。
いつも2人で歩いていた道を、一人で歩いていると、ちょっとしたことで節子を思い出します。
あそこにいるおばあさんに、節子だったら声をかけるだろうな、とか、
あの人は敬遠して、節子は反対側に避けるだろうな、とか、
ちょっとここで一休みしようといいかもしれないな、とか、
節子の言動が思い出されるのです。
人の記憶は、頭の中だけにあるのではないようです。
場所とつながることによって、忘れていた記憶がよみがえります。
言い換えれば、その場所にも節子の息吹が残っている。
それを強く感じます。
場所が語りかけてくるのです。
不忍池を離れて街中に入っても、いろんな記憶がよみがえります。
陶器のお店、漆器のお店、そうしたものが好きだった節子は、よく立ち寄りました。
特に買うわけでもないのですが、そういうお店が好きでした。
私は買わずに出てくるのが気がひけましたが、節子はそんな事は気にしませんでした。
でも買いたいものもきっとあったはずです。
私は、無責任に好きなものがあったら買ったらいいじゃないかと勧めましたが、わが家にはお金がなかったのかもしれません。
お金のことはすべて節子に任していましたが、会社を辞めてからは、私の収入は極めて不安定で、次第に無収入に近くなっていったからです。
それでも、わが家は豊かでした。
経済的に困ったこともなく、物もありあまるほどあります。
最近はちょっと苦しいこともありますが、不思議と何とかなっています。
節子がきっと見守ってくれているのでしょう。
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