■大連立発想への疑問
ねじれ国会だと法案もなかなか成立しないし、政治にスピード感が出てこないということで、大連立への賛成者が増えているようです。
しかし、私にはあまり理解できません。
ましてや「救国内閣」などと言う言葉が出てくると、背筋が少し寒くなります。
昨今の被災地支援の言葉が「葵の印籠」のように感じられて、あまり気持ちがよくありませんが、「葵の印籠」はどうもそれだけではなさそうです。
私はねじれ国会にはむしろ好意的です。
違った視点で議論されることによって、問題がよりよく見えてきます。
もっとも今の国会の議論のやり方には改善の余地は大いにあります。
議論の目的が「国民の生活」や「国家の運営」ではなく、「党のため」「自分のため」の力の見せ合いのようになっているからです。
しかし、大連理政権になったら、国会での議論の意味は低下します。
国民の見えないところで政策論議がなされ、妥協されていきやすいからです。
政治がもっとスピード感を持って、的確に動いていくことは、もちろん大事ですが、法案が成立せずに事態がなかなか進まないのは、果たしてねじれ国会のせいでしょうか。
大連立政権にしないと改善されないのでしょうか。
私には、問題のすり替えのように思います。
何しろ現在は民主党だけでも党内調整に手間取り、閣僚の中でさえ大きな意見の不一致が力を削ぎ合っているのです。
それに「救国内閣」という表現には不快さを感じます。
「救国」とは何でしょうか。
時代錯誤もはなはだしいと思います。
長く自民党の一党独裁が続きました。
そのために、議論を通して、よりよい政策に高めていくという、本来の国会は日本にはなかったのかもしれません。
そもそも党議拘束などというのも、私には民主主義になじまないように思います。
大連立を求める人は、要するに反対する人のいない体制をつくろうとしているだけでしょう。
選挙の意味も大きく変わってしまうかもしれません。
そうやって、かつての日本はどこに向かったのか。
それを思い出すと不安になります。
どこかがおかしい、そんな気がしてなりません。
| 固定リンク
「政治時評」カテゴリの記事
- ■湯島サロン「市会議員選挙に立候補して考えたこと」報告(2023.02.01)
- ■国家の安全保障のために政府には「機密」があってもいい、という「常識」(2023.01.26)
- ■「嘘つきは政治家のはじまり」にしてはいけません (2023.01.26)
- ■国会議員ローテーション制度に賛成します(2023.01.17)
- ■戦争をやめさせたいのであれば、戦争をつづける人に加担すべきではない(2022.12.22)
コメント