■節子への挽歌1456:花火
手賀沼の花火大会は、今年は中止でした。
代わりに、今日、ほかのイベントにからめてのミニ花火大会がありました。
会場はいつものように、わが家からよく見えるところです。
この花火大会がよく見えるというのが、ここに転居してきた大きな理由でした。
しかし、その花火大会を節子がゆっくり堪能したのは、もしかしたら1回だけだったかもしれません。
というのは、友人たちを誘ったために、最初の頃は、その接待で節子はばたばたしていたのです。
来客も一巡して、ゆっくりと見られるようになった頃に、節子は発病してしまいました。
それからは、節子はゆっくりと見られたでしょうが、心から楽しむことはなかったかもしれません。
最後の年の花火大会は、思い出すだけでもいやになる思い出もあります。
だから思い出すのはやめます。
そんなわけで、私も最近は花火があまり好きではなくなってしまいました。
でも今日は屋上で娘と見ました。
感動もせずに、ただただ節子を思いださないようにして、です。
しかし、時々、節子の声が聞えるような気もしました。
写真を撮りましたが、花火の写真はうまく撮れたためしはありません。
写真を位牌の前に置こうかとも思いましたが、考えてみれば、彼岸から節子は見ていたかもしれません。
まあ、しかし、下手な写真を2枚だけ載せておきましょう。
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