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2011/08/02

■最近の新聞はニュース記事が少ないような気がします

最近、新聞を読む時間が大幅に減りました。
その理由は、報道記事の種類が少ないからです。
文字が大きくなったこともあり、文字数はかなり減少していますが、それ以上に解説記事が増えているので、ニュース報道記事は全体としても少なくなっています。
そのせいか、取り上げる「事件」や「事実」の種類が限られてきています。
そしてその大きな「ニュース記事」も解説的なものが増え、記者が汗を書いて現場取材したものは少なくなりました。
今日も共同通信の談話捏造が報道されていますが、その類の「読み物」が増えています。
しかしそうしたものは、テレビのほうが圧倒的に情報量が多いですから、新聞で読む気にはなりません。
解説記事も雑誌のほうが読みやすいので、これも私はほとんど読みません。
そのため、新聞を読む時間は大幅に減ったわけです。

しかしもっと大きな問題があります。
かつての新聞には、小さな記事がいろいろとありました。
つまり紙面の中で取り上げられている「事件」数は、今の倍以上あったように思います。
そうした「小さな事件」はテレビでは取り上げられませんから、新聞でしか読めません。
数年前までは、私のとっての新聞の魅力はそうしたマイナーな記事でした。
地方欄にはそうした小さな記事もつい最近まで残っていましたが、それも少なくなりました。
もしかしたら現場を取材する記者の数が減ったからかもしれません。

情報量は「多様さ」と「深さ」で決まってきます。
その多様性が新聞から大きく失われていますが、その意味は甚大です。
多くの人は新聞やテレビからの情報で世界を構成していきます。
そうしたメディアが限られた事実や事件だけに絞られたらどうなるでしょうか。
世界は極めて平板なものになります。
しかし世界は実に多様なのです。
現実の世界と私たちの描く世界は、こうして別のものに育っていきます。
前にも書きましたが、いまや現実の世界と私たちが社会的に構成した世界とは、似て非なるものかもしれません。

一時期、若者向けの情報誌が小さな文字で多様な情報に溢れていた時代があります。
今も文字は小さく、盛りだくさんですが、20年前に比べれば、多様さは失われているように思います。
若者さえもが単細胞になったからかもしれません。
最近の若者は好奇心においても知識においても、薄っぺらな若者が多いように思います。
何しろテレビに出ている若者たちは、脳みそがないような、私にはサルにしか見えない生き物に進化退化かな)しています。
こんな若者には未来はなくてもいいなと、時々思いますが、まあそういうわけにもいきません。
わずかとはいえ、私と同じ種の若者もいますから。

世界の多様さが大切だと思うのであれば、新聞もテレビも報道姿勢を根本から見直す必要があるような気がします。

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