■節子への挽歌1435:「カティンの森」
節子
アンジェイ・ワイダの「カティンの森」をDVDで観ました。
ワイダの映画を観るのは30年ぶりでしょうか。
学生の頃の「地下水道」や「灰とダイヤモンド」の印象が強烈過ぎて、その後観た「大理石の男」(面白くなかったです)以来、観る気にはなれませんでした。
それにしても、「地下水道」は今もなお、思い出しただけで心が冷えてくるような映画でした。
節子と結婚してからは、あまり映画には行かなくなりました。
それまで奇妙な魅力を感じていた、M.アントニオーニやイングマル・ベルイマンの映画に興味を失ったのは、たぶん節子と結婚したからだと思います。
映画よりも現実の世界のほうが、私を魅了しだしたわけです。
それに、節子は映画という虚構の論理の世界よりも、美術展やコンサートといった直接体験できる感性の世界が好きでした。
「カティンの森」は、私にとっては、その事件そのものへの関心がありました。
ご存知の方も多いと思いますが、20万人を超えるポーランドの将校や徴兵者を含む軍人たちがカティンの森で虐殺された事件です。
当初、それはナチスの仕業とされていたのですが、真相はソ連の人民委員会でした。
それに関しては、私は何の怒りも感じないのですが、事実を知りながら隠蔽したアメリカのルーズベルトなどの国家政権へは怒りを感じます。
真相を公開しようとした人たちは不幸な目に合わされています。
政府は、いつの時代も同じです。
ヒトラーだけが例外だったわけではありません。
この映画には、事実に従って毅然と生きた(あるいは死んだ)人たちが描かれています。
そのそれぞれの生き方には、背筋が震えました。
私が揺さぶられたのは、将軍の夫人ローザの生き方でした。
愛よりも真実に、生命よりも真実に。
誠実に生きている人にとっては、真実こそが、すべての愛の、そして生命の根源なのです。
自分の生き方を、振り返らないわけには行きません。
「カティンの森」の感想は、挽歌よりも時評で書くべき題材ですが、節子に話したい気持ちが湧き上がり、挽歌に書いてしまいました。
この映画は、「愛」を深く考えさせる映画です。
伴侶への愛、兄への愛、父への愛、友への愛。
悲しさの中でこそ、愛はその真実の姿を表します。
そして、愛するということの悲しさを教えてくれるのです。
ワイダに何があったのでしょうか。
気になりながら、観る気になれなかった「カティンの森」でしたが、思い切って観てよかったです。
映画館ではまだ観る勇気はありませんが。
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