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2011/08/20

■リスクをとらない生き方

この数年、いろいろな局面で、リスクをとらない人たちに出会います。
本人はたぶんあまり気づいてはいないのかもしれませんが、「安全で安心な社会」のなかで生きていると、そうした生き方が当然だと思うのかもしれません。
そういう生き方は、私の周辺にも増えています。
私自身、そういう傾向が強まっているのかと思うとゾッとしますが。

和牛オーナー制度で成長していた安愚楽牧場が、民事再生法の適用を申請しました。
7万人を超すオーナーからの出資の4200億円が返還できるかどうかが問題になっています。
老後の生活資金を投入した人もいるそうです。
こうした事件が起きると、いつも経営者が責められます。
たしかに経営者に悪意がある場合も少なくないでしょう。
しかし、私はいつも、出資した人の無責任さを咎めたくなります。
投資とは、リスクのあることです。
高利を求めるのであれば、リスクは覚悟しなければいけません。
それに老後の生活資金を、そうしたリスクのあるところに投資すべきではありません。
世の中には、そんな好都合の話などありません。
出資先が倒産したのであれば、潔く諦めるべきです。
仮に、それが「詐欺行為」だったとしても、諦めるべきです。
詐欺行為は許せませんが、詐欺にあうのも褒められたものではありません。
ましてや詐欺とわかって騒ぐのは、私の美学ではありません。

生きることには、常にリスクが伴います。
農業や漁業を生業にしている人たちは、常にリスクを負っています。
日照りが続けば収穫は減るでしょうし、台風が来て全滅することもあります。
漁師も、どの漁場に行くかは、自分で決めなければいけません。
漁獲も豊漁もあれば、魚群に出会わないこともあるでしょう。
御殿が建つこともあるでしょうが、津波に家をさらわれることもある。
みんなリスクと共に生きています。

老後のためにお金を蓄えるという生き方そのものが、私には違和感がありますが、それは仕方ないとして、お金を増やそうなどという発想はいったいいつから広がったのでしょうか。
「お金がお金を増やす」などということを信ずる人の気持ちがわかりません。
マジックではあるまいし、そんな事が起こるはずがない。
でも現代人は、みんなそれを疑うことはありません。
「お金がお金を増やす」ことが起こるとしたら、それは同時に誰かの「お金を減らしている(奪っている)」ことではないかと、私は思います。
それが、私の経済観のイロハです。

工業社会は、しかし、「安全神話」に守られた社会です。
自然の変化などには影響されないですむ仕組みをいろいろとつくりあげてきました。
ですから、そうした社会に生きていると、みんなリスクをとる生き方を忘れてしまいます。
ちょうど野生の動物が家畜になるのと似ています。

リスクを無視し、いいところだけを享受する生き方が、私にはどうしても違和感があります。
原発の問題を考える時に、どうしても引っかかってしまう問題でもあります。

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