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2011/08/12

■SNSの両義性

中東反体制デモで「市民の新しい武器」と欧米で絶賛されたインターネット交流サイト(SNS)に対し、英政府が使用制限も辞さない姿勢を示している。
こんな記事がヤフーのニュースに出ていました。
英警察によると、神出鬼没の暴徒はSNSで「略奪スポット」を知らせ合い当局の裏をかくように破壊を繰り広げた。英紙ガーディアンによれば、SNSや携帯端末の登場で「街の不良は数年前には考えられなかった強力な通信手段を手に入れた」(野党労働党議員)と指摘する声も上がっている。
ただ、AFP通信によると、SNSを使って暴徒の写真を送信し合うなど市民が自衛に利用する例もあった、とも書かれています。

こうした英国のSNSの使用制限は成功することは難しいでしょうし、そうした動きへの批判も一方では広がっているようです。

この記事を読んで、私が思い出したのは、ネグリの「マルチチュード」です。
まさにマルチチュードにとっての岐路が見えてきたような気がします。
マルチチュードは、もともとは「大衆」に近い意味の言葉のようですが、ネグリはそれに現代的な意味合いを込めています。
異質な生活や価値観を持ったバラバラの存在としてある個人が、その特異性を保持したまま、ある意思を持ち出し、行動を起こし始める。
これが、私の理解している「マルチチュード」です。
異質な個人をつなげ、その全体に意思を与え、動きを方向づけるのが「誰か」(ネグリはそれを「政治的プロジェクト」といいます)によって、マルチチュードは、変革(反乱)の主体にも管理される搾取の客体にもなりえます。
前者の場合には、マルチチュードは能動的な社会的主体になりますが、後者の場合は無機質な機械的存在になりかねません。
しかし、いずれの場合も、マルチチュードを束ねていくのは、「言語」であり服装やしぐさです。
個人間のコミュニケーション様式も大きな影響を与えます。
前者の場合は、現体制の権力との対決の場面が必ずあります。
ネグリは、そうしたことこそが異質の存在であるマルチチュードの一体感を高めるといいます。
「催涙ガスの刺激臭が五感を鋭敏にし、路上での警察との衝突が怒りの血を全身にたぎらせ、もはやその強度を爆発寸前のところにまで高めるのだ。こうして極限まで強化された共は、ついに人間学的変容を引き起こし、闘いのなかから新しい人類=人間性が出現するのである」と、ネグリはその著書で書いています。
そして、「殉教」行為が始まります。
こうしたことは、イラク戦争で私たちは何回も映像に触れています。
イラク戦争の契機になった9.11そのものも「殉教」によって引き起こされたのです。

マルチチュードのメンバーが、自らの生活や価値観を変えずに一つの意思と行動を可能にしたのは、インターネットに支えられたこの数年のITの進化のおかげですが、もう一つ見落とせないのは経済の均質化です。
かつては多様な働き方、生き方がありましたが、いまや経済という枠組みの中で、労働は「雇用労働」になり、生活をつなげるグローバルな記号になってしまったのです。
つまり、つながり方はともかく、つながりやすくなったということです。
「労働」は、もう一つの「言語」なのです。
多種多様な異質によって行動的に創発される集合的知性、つまりその意味でのマルチチュードは、ある意味で「新しい生命」とも考えられます。
各地で起こっている「反乱」や「暴動」が、これからどう進化していくのか。
とても興味があります。

1982年に、「21世紀は真心の時代」という小論を書きました。
http://homepage2.nifty.com/CWS/magokoro.htm
その書き出しは「反乱の時代」でした。
40年して漸く、21世紀が見えてきました。
私には、ですが。

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