■節子への挽歌1457:空海の縁
節子
日本経営道協会の市川覚峯さんから電話がありました。
市川さんはいつも夏には2週間ほど山ごもりの行をされますが、そこから帰ってきた後だったのでとても元気な声でした。
市川さんはある時、思い立って行に入りました。
最初は千日回峰行者 光永覚道師に師事し、比叡山の無動寺谷の明王堂で得度して1年間の行を積みました。
得度式には私も参加し、光永覚道師ともお会いしましたが、思い切った決断でした。
翌年、今度は高野山に移り、「虚空蔵求聞持法」を会得しました。
虚空蔵求聞持法は言うまでもなく、空海に大きな力をあたえた大行です。
断食の満行日に、私は節子と一緒に、市川さんが寄宿していた宿坊に行きました。
夜になって待っていたら、階段を軽快に上がってくる足音が聞え、市川さんが部屋に入ってきました。
驚いたのは、身体が透けて見えるような透明感があったことです。
翌朝、まだ暗い中を、市川さんは護摩を焚いてくれました。
暗いお堂の中は、当時の私にはまだ恐怖感さえありましたが、私には初めての体験でした。
その後、市川さんのご家族と一緒に、奥の院まで行きましたが、断食明けにも関わらず市川さんは役の行者が空を飛ぶように、軽快な足取りでみんなを先導してくれました。
その後、市川さんはさらにもう1年、吉野に移って、生命を賭けた大峯百日回峰にも挑まれました。
その市川さんから電話がありました。
ちょうどその時、私は山折哲雄さんの「空海の企て」を読み直していたところでした。
電話はちょっとした用事でしたが、最近、空海がらみの話が多いので、これもなにかの意味があるのかもしれません。
節子の訃報を聞いた市川さんは奥さんと一緒にすぐにわが家に来てくれ、お2人で節子の枕経をあげてくれました。
あれからまもなく4年です。
高野山で会った、当時小学5年だった市川さんの息子さんも立派な若者になりました。
節子は、成人した彼には会っていないかもしれませんが、実にいい若者です。
急に市川さんに会いたくなったので、近々、彼を訪ねようと思います。
彼もまた、彼岸とも少し通じている人でもありますし。
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