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2011/08/31

■節子への挽歌1459:五弦琵琶

節子
塚谷誠さんが、2作目の句集「五弦琵琶」を送ってきてくれました。
私は俳句にはほとんど興味がないのですが、書名の「五弦琵琶」に引き込まれました。
そして、いつもなら後回しにするのに、いくつかを読んでしまいました。
塚谷さんの、その後の世界が彷彿とします。

節子も2回ほど、塚谷さんに会っています。
塚谷さんは、その後も会うたびに節子の話をしてくれました。

塚谷さんは、私が勤めていた東レの先輩です。
全くの分野違いでしたので、会社時代は時々、お話を訊きに行くという程度のお付き合いでした。
私が会社を辞めてしばらくしてから、突然に連絡があり、湯島に来ました。
その時は京都の会社の社長でした。
そういえば、その会社は空海の立体曼荼羅のある東寺の近くです。
塚谷さんは、毎朝、当時の境内を通って出社していたとお聞きしています。
またもや空海がらみですね。

塚谷さんは、新しく経営を任された会社の再建に取り組みたいので協力してほしいとお話しされました。
私が東レ時代に取り組んだ仕事を評価してくださってのお話でした。
引き受けさせてもらいました。
それが塚谷さんとの新しいお付き合いの始まりでした。

会社再建は見事なほどに成功しました。
私の役割はほとんどなく、塚谷さんの理念と思いが、再建を可能にしたのです。
節子が元気になっていたら、京都で塚谷さんに再会して、きっと美味しい食事をご一緒できたでしょう。

五弦琵琶という書名は、昨年の正倉院展で塚谷さんが出会った聖武天皇遺愛の螺鈿紫檀五弦琵琶に由来するそうです。
私は、螺鈿紫檀五弦琵琶は写真でしか見たことはありませんが、実物を見たら引き込まれるかもしれません。

塚谷さんは会社を引退されてから俳句を始めました。
それにしては見事です。
師の塩川雄三さんもほめています。
会社時代の塚谷さんからは思いもしませんでしたが、塚谷さんは文学青年だったのです。

節子は病気になってから俳句に興味を示しました。
そういえば、ずっと前に黛まどかさんが湯島に来たことがありますが、それを契機に俳句に興味をもったようでした。
しかし、その直後に発病してしまったのです。
少し元気になってから、旅行先で、時々、できたといって、私に俳句を聞かせました。
節子は気に入った景色を見ると、スケッチをしたりするのが好きでしたが、そこに俳句が加わったのです。
しかし残念ながら、その期間は短く、作品はたぶん残っていません。
富士山が見える元箱根の恩賜公園で節子が句ができたといっていたのを記憶していますが、句までは思い出せません。
私の誠意のなさがわかります。

塚谷さんの句です。

曝涼の館に聴けり五弦琵琶
涼しさが実感できます。
彼岸も見えます。

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