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2011/08/15

■恐怖の源泉

渡辺謙さんがレポーター役をつとめた「9.11テロの立ち向かった日系アメリカ人」を見ました。
「9.11アメリカ同時多発テロと、70年前に開戦した太平洋戦争を結ぶ、知られざる物語がある」という話から始まるドキュメントです。

9.11テロ発生後、アメリカで、アラブ・イスラム系の人々に対する暴力や差別が広がりました。
そうした動きに厳然と異議を唱えたのが、テロ発生当時、運輸長官だった日系二世のノーマン・ミネタさんだったそうです。
そして、彼を中心にして多くの日系アメリカ人たちが行動を起こしたのです。
その背後には、太平洋戦争時にアメリカで起こった日系アメリカ人の強制収容所隔離という、自分たちの両親たちの体験がありました。
ノーマン・ミネタさんの両親も、その体験があったのです。

いまも、日系アメリカ人とアラブ・イスラムの若者同志の交流の場がもたれていますが、その集まりでミネタさんが話した言葉に感激しました。
彼は、若者たちに自らのルーツである宗教、言葉、芸術に誇りを持てと語りかけます。
そして、それを共有していくことが大切だと言います。
いうまでもなく、共有するとは「違いを認め合って、お互いに尊重しよう」ということです。
そして、ミネタさんはこうつづけます。
「何かについて、誰かについて、知れば知るほど、恐怖感はなくなっていく。」

疑心暗鬼という言葉がありますが、不安な状況の中では、「知らないこと」は恐怖の源泉になるのです。
正確に言えば、中途半端な知識が一番危険なのだろうと思います。
無垢な赤子は、おそらく何に対しても恐怖は感じないでしょう。
しかし多くの人は、自らが知っている世界の広さと恐怖感はおそらく反比例します。
「不惑」という言葉も、その人の世界の広さに関連していると思います。

「愛国心」もまた、恐怖心(コンプレックス)と深くつながっています。
しかし、恐怖に端を発する「愛」は、ありえないでしょう。

「何かについて、誰かについて、知ること」の大切さを、私たちはもう一度、思い出すべきです。
最近の教育は、それを忘れているように思います。
教育だけではありません。
私たちは、毎日の生き方において、もっと「何かについて、誰かについて、知ること」を心がけるべきではないか。
この番組を見て、改めてその思いを深めました。
アメリカにはまだ政治がある、とも思いました。

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