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2011/08/08

■システム時代の首相の座

辞めるべき首相がまだ辞めずにいます。
辞めない首相も問題ですが、辞めさせられない政治家たちも問題です。
仕組みが悪いのでしょうか。
そうではなくて、辞めなくても事態はそう変わらないからかもしれません。
そう公言している人も少なくありません。
もしそれが当たっているのであれば、首相さえもが、誰がやろうと変わらない「歯車」になっているということです。
それが「システムの時代」の特徴かもしれません。

しかし、システムの外側には必ずシステムを動かしている人がいます。
それが見えなくなり、わからなくなることで、システムによる人の支配がはじまりますが、日本の政治のレベルであれば、そこまでは複雑ではないでしょう。
そこで「陰謀論」が横行するわけですが、陰謀があるかどうかはともかく、現在のシステムから「利益」を受けている人は、それが「割り勘負けしている利益」であったとしても、それに気づきませんから、不満は言いますが、本気で現状を変えようとは動きません。
それが「保守層」といわれる体制の基盤です。
「保守層」の多くは「割り勘負け」していますが、それに気づくためには、システムの全貌がある程度わからなければいけないのと一時的な利益の減少を受容できる余裕がなければいけません。
歴史を見ればわかりますが、変革を起こしたのは、そうした「余裕」がある人たちであって、システム(体制)の一番の犠牲者は、結果的には体制を維持する側から抜け出せません。

日本人の多くは、「余裕」をなくした「歯車」になってしまったのでしょうか。
そう思いたくなることはよくあります。
歯車は、不満を言いながらも結果として体制を維持する側にあることはいうまでもありません。
たとえば、菅首相に代わる人がいないと多くの人は思っているようです。
支持する政党がないと言う人も多いです。
こうした意見は体制を維持する作用を果たします。
そういう人に限って、たぶん国会中継も見ないでしょうし,政治についての集会にも出ないのではないかと思います。
そんな時間があれば、サッカーを観戦し、経済活動に注力するでしょう。
そういう発言をする人は、要するに政治への当事者意識を持っていない人と考えてもいいでしょう。

正しくは、「だれが次の首相に相応しいかわからない」「どの政党を支持していいかわからない」と言うべきです。
要するに、政治を他人任せにして、そうした問題を考える努力をしていないだけの話です。
しかし、そういう「生き方」が、いま問われているのです。

問題は、常に自らにあると考えると、世界は変わります。
昨日、ポーランド映画の「カティンの森」を観ました。
感動しました。
最近の私の生き方を反省しました。
生き方はまだ変えられそうです。

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