■フェイスブックがつくりだす受動的な情報環境
またこの数日、フェイスブックに情報発信していました。
気がついたら、時評に書くような小難しいことを長々と書いていました。
TPPの話とか、民主党政権の話です。
そしてハッと気づきました。
フェイスブックであまり議論している人はいないということに。
それで
最近うっかりフェイスブックに生真面目に書きすぎています。と書きました。
興ざめですね。すみません。
明日から少し自重して、思いはブログに書くことにします。
ブログは配信されないので、迷惑をかけませんし。
「いいね」と言ってきた人もいましたが、
続けろという人もいました。
その一つがこれです。
FBに書いてください。興ざめなんかしません。FBはフェイスブックのことです。
べつに軽い挨拶をするためにFBがあるわけでもないのですから。
だれもめいわくなんかいたしません。
プログを開けるのがかえって面倒くさいです。
これを書いてきてくれた方は、私の友人の友人で、私自身はまだ面識はありませんが、いろいろと私の記事に反応してくださる方です。
とても誠実に生きており、しっかりと社会に関わっている方のように思います。
その書き込みを見て、FBの落し穴に気づきました。
FBは開かれた情報世界の入り口です。
しかし基本的には「受動的な情報環境」だということです。
そもそも情報を入手するためには、それなりのコストとエネルギーがかかります。
しかしFBからの情報は自然に入ってきます。
もちろんそれなりの働きかけがないと入ってきませんが、基本的には受動的な情報環境をつくります。
その落し穴に気づいたのです。
中近東ではFBが革命を起こしたといいますが、もしかしたらあれは単なるモッブ騒ぎだったのかもしれません。
ツイッターは私にはまだ違和感がありますが、両刃の剣だと改めて思います。
誰かの情報をフォローしている人生は私の生き方ではありませんし、情報を拡散するような存在にはなりたくありません。
ツイッターで、情報拡散という文字に出会った時の違和感は今も鮮烈に残っています。
どこかおかしさを感じています。
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