■節子への挽歌1431:丸くなければスイカではない
時評編に書きましたが、近くの八百屋さんでスイカを買ってきました。
娘にまかせておくと、いつも1/4のスイカを買ってきます。
私にとっては、切られたスイカはスイカではありません。
そういえば、「合理主義者」の節子も、丸ごとスイカはあまり買ってきませんでした。
スイカは丸くなければいけないと考えている私には実に不満でした。
なんで丸いスイカを買ってこないのかと、節子に不満を何回も言いましたが、節子は冷蔵庫に入らないとかみんなあまり食べないから残ってしまうとか言うのです。
私にとっては、何の理由にもなりません。
スイカは丸くなければいけないからです。
節子のもう一つの理由は、切ってあればおいしそうかどうかわかるというのです。
切ってみたら「はずれ」だったということもあるのが、スイカの醍醐味ではないかと私は思うのですが、節子はなにしろ「合理主義者」なのです。いやはや。
この件に関しては、私たち夫婦は最後まで折り合いが付けられませんでした。
でもやさしい節子は、そうは言っても時々は私のために丸いスイカを買ってきてはくれました。
その節子の「スイカは食べられる分量だけを買う」という文化は、不幸なことに娘たちに継承されてしまいました。
それに、娘たちはスイカ一切れで満足するのです。
そんなわけで、今日は私がスイカを買いに行ったのです。
八百屋さんの若者に、スイカは丸くないとダメだよね、と言うと、即座に彼はそうですよね、といいました。
そして付け加えました。
家に2.3個の丸いスイカが転がっていないとだめですよね。
そういえば、昔、節子の実家に行くとスイカがいくつも部屋の隅に転がっていました。
一つはバケツに冷やしていましたが、いつからスイカを冷蔵庫で冷やすようになったのでしょうか。
一瞬、2つか3つのスイカを買おうかと思いましたが、思いとどまりました。
なにしろいまは節子もいないし、余っても近所の子どもたちに声をかける勇気はありません。
節子ならやりかねませんが。
で、スイカをひとつ買って帰りました。
そしてすぐに包丁を入れました。
残念ながら余り慣れていないので、斜めに切込みが入ってしまいました。
そういえば丸いスイカを切ったことがなかったのです。
意外と難しいのは、包丁が切れないせいでしょう。いやはや。
娘と一緒に食べましたが、1/4も食べられません。
なにしろ今日はそう暑くなく、スイカ日和ではなかったのです。
それに買ってきたのが夕方だったのです。
しかたなく残りをなんとか冷蔵庫に入れました。
節子と娘から、「だからスカイは丸ごとはダメなのよ」と言われているようで、肩身が狭いです。
さてさて明日はがんばってスイカを食べなければいけません。
子どもの頃は、スイカを食べ過ぎて、お腹が重くなって立ち上がれないこともあったのですが、そんなスイカの食べ方は、もう誰もしないのでしょうね。
そういえば、節子にスイカを供えるのを忘れてしまっていました。
明日の朝、供えましょう。
丸いまま供えておけばよかったですね。
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