■節子への挽歌1438:4回目のお盆が来ます
節子
節子のお盆の帰省が近づきました。
節子だけならいいですが、いつ、お坊さんやらだれかが来ないとも限りません。
それで、娘と一緒に仏壇の掃除をしました。
節子の友達からの手紙が何通かたまっていたので、整理しました。
節子と仲良しだった勝っちゃんからの絵手紙もありました。
掃除を終えて、パソコンを開きました。
挽歌のコメント欄に、その勝っちゃんからの投稿が書き込まれていました。
節子に関しては、こういう偶然の一致がよく起こります。
節ちゃんが亡くなられて四回目のお盆が来ましたね。
いつまで経っても忘れられません。
そうか、4回目なんだ、と思いました。
節子がいなくなってから、時間の感覚があまりなくなっています。
節子がいなくなったのが昨日のようにも感じられますし、いなくなってからもう何百年も過ぎてしまったように思うこともあります。
何百年というのはおかしいのですが、節子と一緒だったのは「前世」だったような思いに捉われることがあるのです。
逆に、もしかしたら明日、節子が戻ってくるかもしれない気がすることもあります。
私の中では、時間の流れが乱れてしまっているわけです。
4回目のお盆。
いつまで経っても忘れずに、思い出してくれる人が、節子には私のほかにもいるのです。
節子は幸せ者なのです。
勝っちゃんが思い出すのはお盆だけではありません。
私の記憶では、勝っちゃんはいつも節子の誕生日を覚えていて、電話や手紙をくれていたように思います。
節子の誕生日は「節分」だったので思い出しやすいから、というような話を聞いたことがあります。
それに引き換え、節子は勝っちゃんの誕生日を忘れがちで、来年は忘れないようにしなくちゃ、と言っていたのを覚えています。
なんとまあ節子は薄情者だったことか。
しかし「あばたもえくぼ」というように、惚れてしまうとそういう欠点までもがなんとなく好きになってしまうものなのです。
いまから思えば、節子は欠点が多かった。
にもかかわらず、なんで好きになってしまったのか。
愛とは不思議なものです。
お盆で節子が帰省してくるのであれば、少しシャキッとしなければいけませんが、最近はいささか夏バテです。
節子が帰省してきたら、元気が出るかもしれませんが。
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