■イギリスでの暴動が示唆するもの
ロンドンの若者たちの暴動のニュースには驚きました。
パリだったらそうは驚きませんが、何しろロンドンですから。
発端は、警察官による黒人射殺事件のようですが、おそらくイギリスもまた経済に暗雲が立ち込めているのでしょう。
いつの時代も、暴動の背景には経済があります。
国家への異議申し立てが世界的に広がったのは1960年代から70年代にかけてでした。
そこから「国家制度」の変化が起こるのかと思っていましたが、むしろグロバリゼーションの進行に伴い、国家体制は強固になったような気がします。
ただし、国家を統治するのは主権者の国民ではなく、金融に変わりました。
生活の経済から金融の経済への変質です。
そして、近代国家と資本主義は、実に相性がいい事が次第にわかってきました。
資本は国家を解体していくだろうと思っていましたが、資本は見事に国家制度を傘下におさめ、利用したのです。
そうした状況の中で、また1960年代のような動きになっていくのでしょうか。
その可能性は低いと思いますが、インターネットの広がりの中で何とも言えない気もします。
最近、読んだ坂本義和さんの自伝的記録「人間と国家」は次の引用で始まります。
君は川の向こう側に住んでいるではないか。友よ、もし君がこちら側に住んでいたら、僕は人殺しになるだろうし、君をこんなふうに殺すことは不正になるだろう。だが君が向こう側に住んでいる以上、僕は勇士であり、僕のすることは正義なのだ。パスカルの文章だそうです。
暴動を起こした若者たちがいるのは、どちら側なのでしょうか。
燃え上がる炎をみながら、この文章が思い出しました。
中近東でも若者たちが生命をかけて戦っています。
あれは「国家」のためなのか、「国家」を超えるためなのか。
いずれにしても、その騒乱のなかで戦っている前線の若者たちは、どちらの側にいようと、たぶん「正義」を行っているのです。
でもどこかおかしい。
もしかしたら、岸を分ける線が違うのではないかという気がしてなりません。
「政治」ではなく「経済」の目で考えると、世界の騒動は違ったものになるのかもしれません。
ロンドンの暴動と円高は、どうつながっているのでしょうか。
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