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2011/08/25

■島田紳助さんの突然の引退会見

島田紳助さんの突然の引退会見は、一見、潔さそうで、歯切れの悪い会見でした。
言い訳が多すぎました。
しかし、彼の人柄が感じられて、何回も見てしまいました。

それはそれとして、いつも思うことがあります。
付き合うだけで反社会的だといわれる組織や人が存在することへの疑問です。
社会には2つの暴力組織が存在します。
いわゆる暴力団と警察組織です。
両者はつながっていますが、その境界が私にはよくわかりません。
警察から暴力組織への天下りもあるのだろうと、私は勘繰っていますが、暴力組織から警察関連組織への「出向(応援)」もあるはずです。
少なくとも、1960年代にはあったはずです。
そうした繋がりを残したまま、普通の人が暴力組織と付き合うと非難されるのは、要するに「暴力組織」も含めて、暴力機能を政府が独占しようということの当然の結果かもしれません。
しかし、それは危険な賭けでもあります。
なぜなら、人が構成する組織は、閉じられてはいけませんから、暴力は必ず広がりだすからです。
それを管理するのは至難のことです。
暴力組織の存在を許しておきながら、そこと付き合うのはだめだというのであれば、もう少しきちんと論理付けるべきですし、管理の仕組みを構築すべきです。
警察はもう少し頭を使うべきでしょう。
暴力に依存していると、そういう志向はなくなるのかもしれませんが。
しかし、暴力をあずかるのであれば、もっと真剣に管理してほしいものです。
最近の日本社会の荒廃は、そうしたことがおろそかにされた結果だと思います。
「警察の民営化」も少しずつ始まっていますが、暴力管理(警察行政)のあり方は、そろそろ考え直すべきでしょう。
安直な監視社会化だけでは限界があるはずです。
民間の暴力組織を合法化した、その後の戦略が不在です。

橋下大阪知事が、自分が知事になれたのは紳助さんのおかげだと発言しています。
要するに、橋下知事もまた暴力組織の庇護の下にあるということです。
紳助が引退するなら、彼もなんらかの責任をとるべきだと私は思いますが、もしそうであれば、責任を取って引退する人は、八百長相撲事件で多くの力士が引退させられたと同じように、膨大な数の人が連鎖していくでしょう。
政界にも、経済界にも波及するでしょう。
いささか過剰に考えすぎかもしれませんが、しかしそれが現実なのでしょう。
私には生きにくい時代です。

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