■節子への挽歌1432:挽歌をかけなかった言い訳
節子
また昨日は挽歌が書けませんでした。
湯島についた途端に、来客などで時間の合間が全くなくなり、昼食さえも食べる時間がない1日でした。
節子が元気だったころは、いつもこうでした。
あの頃は、本当にいろんな人たちが湯島に来ました。
最近は、あまり人は来ないですが、それでも来る日は4組も5組もやってきます。
別に仕事の話でもないのですが、身の上相談というわけでもありません。
湯島の居心地のせいか、長居する人も少なくありませんが、それで結局、次の来客が来るまで話してしまい、私はトイレに行く時間もないほどなのです。
困ったものです。
中村さんは、こういう生活に戻れといいましたが、身が持ちません。
やはり人に会うのは週に3回どまりにしたほうがよさそうです。
それにしても、昔はよくこんな生活をしていたものです。
仕事をする暇ができないのは、当然といえば当然でした。
しかし、節子は、そうした私のおかしな生活を支えてくれました。
収入がなくても、何の苦情も言うことなく。
美味しいレストランで食事をすることも、ブランド品を買うこともなく、わがままな私に付き合ってくれたわけです。
感謝しなければいけません。
もし苦労をかけたとしたら、反省しなければいけません。
もっとも、私が「反省する」といっても、節子は「あなたの言葉は軽すぎる」といつも笑っていましたが。
昨日は9人の人が来てくれましたが、節子が知っている人は一人だけでした。
私の付き合いの世界も変わりつつあるのかもしれません。
湯島に来る人も、節子を知らない人が増えてきているというわけです。
私が前に進んでいるという言い方もできますが、節子がいない私には付き合いたくないという人がいるのかもしれません。
ぷっつり来なくなった人もいます。
なにしろ4年近くたっても挽歌を書いているのですから、いい加減、愛想が尽きたと言われても仕方ありません。
それに、愛する人を失った人とは付き合いにくいものですし。
節子と出会った前後で私が変わったように、節子と別れた前後で私が変わったことは間違いないでしょう。
人は付き合う相手で人柄がわかるといいますが、私の人柄はどう変わったのでしょうか。
自分では「変わった」という意識はあるようでないのですが、外から見るとどうなのでしょうか。
やはり「付き合いにくい人」になったのでしょうか。
ちょっと「性格が悪くなった」という自覚はあるのですが。
今日は午前中は病院でしたが、1時からまた来客が続きます、
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