■節子への挽歌1446:「妻は4年前に亡くなりました」
節子
街で、付き合いの少ない知り合いに会うのが苦手です。
なぜか決まって「奥さんはお元気ですか」と訊かれるのです。
私たちは、いつも2人一緒だったから、そう訊かれるのかもしれません
今日、夕方、近くのお店で久しぶりに会った人からも、そう訊かれました。
「妻は4年前に亡くなりました」
その言葉は、あまり口にしたくはない言葉です。
この言葉を聞かなければ、その人の世界ではいまも節子は生きているのですから。
しかし、私の世界にはいないのに、誰かの世界にはいるのも、あんまり気持ちのいい話ではありません。
人は自分中心で物事を考えがちです。
節子を見送った直後、そのことを知らない人に出会うとなぜか腹が立ちました。
知らないのが当然なことはわかっているのに、なぜか腹が立つのです。
私が愛する節子が旅立ったのを知らない人がいるとは信じられない、そんな気分でした。
それほど私には大きな事件だったわけです。
その反面、4回目のお盆ですね、などと言われると心和むのです。
その自分本位さは、われながらいやになりますが、それが素直な気持ちなのです。
愛する人を失う体験を持つのは私だけではありません。
みんなそうした体験を持っているはずです。
昨日も川下りを楽しむ船が転覆して、死者が出たというニュースが流れていました。
私と同じ思いをする人がまた何人か生まれた、というのが、こうしたニュースに接した時に、いつも私の頭をよぎる最初の気持ちです。
毎日、どこかで愛する人との別れが繰り返されている。
節子との別れは、どこにもよくある話の一つでしかないのです。
そんなことは、私もよくわかっています。
にもかかわらず、私にとっては、節子との別れだけに特別の意味がある。
なんとまあ身勝手なことか。
「妻は4年前に亡くなりました」
その言葉も口に出したくないですが、それ以上に、その言葉への反応が辛いです。
相手もどう反応していいか困るでしょうが、その反応にどう反応していいか、これまた悩ましい話なのです。
ちなみに、どんな反応であっても、身勝手な私が満足することはありえません。
だから近くで、あまり親しくない人に会うのがいやなのです。
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