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2011/08/17

■節子への挽歌1445:カニッツァの三角形

「カニッツァの三角形」をご存知でしょうか。
有名な錯視図形の一つです。
ご存じない方は次のサイトで体験してください。
http://brainsc.com/kinou/kanizsa.html実際にはそこにないものが見えてくることはよくあることです。

しかし、「そこにあるもの」とは何でしょうか。
もしそこにあるように見えるのであれば、それは「そこにある」と言ってもいいかもしれません。
ドラゴンは実在する生き物でしょうか。
想像上の生き物ですが、たぶん多くの人は、その姿をイメージできるでしょう。
実在する動物の多くを、私は実際にこの目で見たことはありません。
だとすれば、私が見たことがない実在する動物とドラゴンのような架空の動物は、私にとっては分けて考えることはありません。
いずれも私の頭の世界には「生存」しているのです。

進化心理学というのがあるそうですが、そこでは、「記憶」とは生き残るために人が身につけた「道具」であるとされます。
そして、「記憶の世界は生きていくために好都合なように変化していく」というのです。
とても納得できる話です。
しかし、これはなにも「記憶」だけではありません。
「現在」の世界もまた、「生きていくために好都合になるように」変化しているのかもしれません。
現在の世界は、「想像」によって構成されていきますから、記憶の世界と同じように、その人の意思によっていかようにも変わりえます。

お盆には彼岸と此岸の世界が通ずるという「方便」もまた、私たちが「生きていくために好都合になるように」設計されたことでしょう。
その方便を信ずる人は、祖先たちとの饗宴を楽しんだかもしれません。
「カニッツァの三角形」が見えるならば、彼岸が見えないとは言い切れません。
その気になれば、彼岸に行ってしまった人にも会えるかもしれません。

残念ながら、今年のお盆は節子に会えませんでした。
彼岸もあまり実感できませんでした。
しかし、カニッツァの三角形のような、見えない世界が見えてくるかもしれない。
そんな気がしてきました。
人は見えるものを見るのではなく、見たいものを見るものです。
だとしたら、いつかきっと彼岸も見えてくるでしょう。
節子にもう一度会いたいという気持ちだけは強く持ち続けたいと思います。

私が生きているうちに会えるといいのですが。
今年のお盆は暑いお盆でした。

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