■節子への挽歌1443:記憶の喪失
暑さがつづいています。
今日はユカと一緒に父母のお参りに行ってきました。
節子は私の両親と同じお墓に埋葬されています。
これは節子自らが選んだことです。
節子は30代の中頃から私の両親と同居し、2人を最期まで看取ってくれました。
お墓は同じなのですが、仏壇だけは節子専用にさせてもらいました。
両親の仏壇は私の兄に頼みました。
そんなわけで、お盆には両親は兄の家に、節子はわが家へと戻ってくるのです。
節子は私の両親には、私以上に好かれていました。
しかし、義理の父母との暮らしは、節子にはかなりのストレスだったでしょう。
ですから、節子が父母の墓に埋葬してほしいと言い出した時には、正直驚きました。
おかげで、私も両親と同じ墓に入ることになりました。
私は閉所恐怖症ですから、お墓への埋葬は好みではありません。
広い空間に散骨してほしいと、節子には頼んでいましたが、そうはなりませんでした。
節子が墓を選んだ以上、私も同じ墓に入るつもりです。
節子と一緒なら、なんとか耐えられるでしょう。
だめなら一緒に出ればいいですし。
お盆のせいか、両親の仏壇の前でも話は両親や節子のことになりました。
そして病院や闘病の話になったのですが、私にはほとんど記憶がないことに気づきました。
兄夫婦のほうがいろいろと覚えていますし、娘のほうが覚えているのです。
話しているうちに少しずつ思いだしましたが、なぜか連続した記憶ではなく、極めて断片的なのです。
もともと私は記憶力がよくないのですが〈過去にはほとんど興味がないのです〉、それにしてもあまりにも忘れている自分をいささかいぶかしく思いました。
しかしまあ、忘れていくことは健全に歳をとっていることなのでしょう。
記憶が薄れていくと欠落した記憶を埋めるための創作が始まります。
この挽歌も、だんだん創作になっていきかねません。
もっとも今も、創作じゃないのと時々娘たちから言われます。
私の意識では、創作はないのですが、まあ人の記憶など、すべて創作かもしれません。
節子が帰省していたにもかかわらず、今年のお盆はなぜかお盆らしい気がしません。
なぜでしょうか。
軽い熱中症のせいか、最近あまり現実感がないのです。
もしかしたら、彼岸の入り口が開いたので、節子が戻ってきたのではなく、私の心が彼岸に行ってしまっているのかもしれません。
そう考えると奇妙に納得できる、この3日間です。
心ここにあらず、というような毎日を過ごしています。
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