■節子への挽歌1449:生きることの大切さ
節子
友人の知人が心筋梗塞で亡くなりました。
まだ50代で、どうやら過労だったようです。
なぜ人は死ぬほど働くのでしょうか。
生きるために働いているはずなのに、働きすぎて死んでしまうのは、本末転倒です。
死者には申し訳ないのですが、そういう話を聞くたびに、生きようとがんばっていた節子を思い出します。
「生きること」をもっと大事にしてほしい、と言っていた節子の目を思い出します。
そういう人には、多くの場合、予兆があります。
本人もそうですが、周囲の人も、それに気づいていることが多いのです。
昨日、心筋梗塞でなくなった人も病院に行く予定だったのが、仕事の忙しさで遅れてしまったようです。
そういえば、節子もよく知っていたYSさんもそうでした。
仕事のために病院に行くのが遅れてしまい、間に合わなかった。
40代でした。
彼のお母さんにお会いした時には、かける言葉もありませんでした。
なんという親不孝なのか。
しかし、そういう人に限って、誠実でやさしい人も多いのです。
そういう人を、死に追いやる社会にやはり問題があるのかもしれません。
今日は湯島で、自殺のない社会づくりネットワークの恒例の交流会です。
私が、自殺の問題に関わりだしたのは、「どうしてもっとみんな生きることを大事にしないのか」という、節子の、怒りのような言葉と無縁ではありません。
自殺も過労死も、他者を殺めるのも、孤独死を放置するのも、そうしたことを引き起こす社会に対して何もしないのも、みんな同じことなのかもしれません。
その出発点は、言うまでもなく、自らの「生きる」ことを大事にすることです。
自らの「生」を大事にしないで、どうして愛する人の「死」を悼むことができるでしょうか。
誠実に、素直に、ひたすらに、生きること。
それが私の今の生き方です。
そうしなければ、彼岸で節子に合わす顔がありません。
過労死も自死も避けなければいけません。
死を避けたくても避けられない人がいることを知ってほしい。
そして避けられなかった死を悼んでほしい。
そうすれば、生きることの大切さに気づくはずです。
最近は、悲しいことが多すぎます。
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