■節子への挽歌1429:「渡岸」と「岸渡」
ふと思いついたのですが、節子の実家の近くにある十一面観音が住まっているのは、渡岸寺ですが、熊野の那智にあるのは青岸渡寺です。
那智は観音浄土信仰の地で、その浄土は海の向こうにあるとされていました。
青い海が、彼岸への青い岸だったのでしょうか。
「渡岸」と「岸渡」は示唆に富む組み合わせです。
「渡る岸」と「岸を渡る」とは全く意味合いが違います。
青岸渡寺の近くには補陀洛山寺があり、そこには「海を渡って浄土に行くための補陀洛渡海船が祀られています。
補陀洛は「観音浄土」のことです。
青岸渡寺は彼岸に向かって開かれていたわけです。
その彼岸は輝くような青に覆われているのでしょう。
節子は、陽光が輝く、少しさざ波のたった水面が好きでした。
わが家のキッチンからわずかばかりですが、手賀沼の湖面が見えますが、晴れた日にはその湖面が見事にキラキラと輝きます。
青ともいえず白ともいえない、その向こうを感じさせる情景です
その情景が、節子は大好きでした。
いま、節子の代わりにキッチンで珈琲を淹れていてその情景に出くわすと、節子も向こうからみているのかなといつも思います。
節子の実家の近くの渡岸寺は、向源寺の一画にあります。
といっても、いまは渡岸寺観音堂が中心になっていると思いますが。
毎回、行くたびに変化しているのでよくわかりませんが、昔の風情はなくなってきてしまいました。
もう彼岸への入り口は閉じているかもしれません。
ところで、向源寺は、もともとは光眼寺だったようです。
これまた興味をそそられる名前ですが、まあ深入りはやめましょう。
渡岸寺、「渡る岸」。
なぜここに「渡る岸」があるのか。
それは、そこにいる十一面観音に会ったら、何となく納得できるかもしれません。
あれほどの十一面観音はみたことがありません。
それに作法も違うのです。
この観音に導かれるのであれば、どこでもが「渡る岸」になるでしょう。
しかし、その十一面観音も最近は小さくなってしまい、元気がないように感じます。
見世物になってしまっているからです。
いまは人を渡岸させる力はないでしょう。
渡岸寺は最澄に所縁があるようですが、いまは真宗のお寺です。
滋賀の湖北はいうまでもなく真宗の里なのです。
節子の両親も、その本山である京都の東本願寺に納骨されていると聞いています。
しかし、節子はそこには行きません。
節子の渡岸の地は、私がいるところなのです。
そして、渡岸が完成するのは、私と一緒に「岸を渡る」時なのです。
ふと思い立って、「かんのんみち」という写真集を見たために、いささかおかしなことを書いてしまいました。
今日の手賀沼の湖面には輝きはありません。
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