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2011/08/19

■医師免許の意味

大震災被災地の石巻市などで、「ボランティアの医師」を名乗って活動していた米田容疑者が医師法違反の疑いで逮捕されました。
彼は医師免許を持っていなかったそうです。
こうした「偽医師による治療行為事件」は時々起こります。
その度に、私は、なぜこういうことが起こるのかと思います。
そして、どうしてみんな医師免許のない人の医療行為を非難するのか、不思議に思います。
わが家のむすめたちに話すと、医師免許を持っていない人に治療を受けたくない、といわれました。
同じ昨日、患者に誤った薬剤を与え、副作用で死亡させたとして、埼玉県薬剤師会の会長まで勤めた薬剤師が業務上過失致死容疑で書類送検されたというニュースが流れていました。
その話をして、たとえ免許を持っていても、こういうことは起こると話しても納得してもらえません。
わが娘にしてまで、「免許」や「資格」に依存しているようです。
育て方が悪かったのでしょうか。

社会学者の市野川さんがある本で語っていた言葉がとても私には納得できます。

プロフェッションというのは独占の一形態であって、それには名称独占(試験合格等の条件を満たさなければ、その資格を名乗れない)と業務独占(資格をもっていなければ、その業務に従事できない)の二つがありますが、外国人ケアワーカーの受け入れに対する反発は、賃金等が下がることへの反発であるばかりでなく、プロフェッションの独占体制、正確にはネイションをベースにした独占体制が、揺らぐことへの反発でもあると思います。(『「国家」は、いま』岩波書店)
フィリピンの看護師資格が日本でそのまま認められないことを、同国の看護師協会が問題にしたことに関連しての発言です。
私は、「資格」制度にはほとんど価値を感じていない人間です。
資格をひけらかすプロフェッションほど、内容のないプロフェッションはいないと思っているからです。
それに彼らの専門知は、実際の生活においては必ずしも有効ではないからです。
こんなことをいうと、いわゆる「士業」の友人たちに怒られそうですが、資格を否定しているわけではなく、その人の持っている技量や知識、あるいは機能を理解するための、「ひとつの要素」としては意味があると思っています。
しかしだからといって、それは万能でもなければ、それがなければ「当該行為」ができないということでもないでしょう。

今回の米田容疑者に関していえば、私には助成金目当ての何ものでもないとしか思えません。取り立て騒ぐような話でもありません。
むしろ、医師免許に騙されて安直に助成したり、免許の有無で行為の評価が一変したり、さらには、いい加減な「資格」や「免許」をすべての判断基準にしてしまう人たちの多さに恐ろしさを感じます。
この問題が発しているメッセージを、私たちは自分の問題としてしっかりと受けとめるべきでしょう。

「知的な仕事」は専門職の人でないとできないと思うことをやめなければいけません。
ほとんどの「資格」「免許」の獲得にはお金が絡んでいます。
そして、それが格差社会を維持していくための、かなり有効な手段であることは間違いありません。
自らが獲得した評判と管理者によって認定される制度としての資格とを混同してはいけません。

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