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2011/08/19

■節子への挽歌1447:哀しみの愛と歓びの愛

節子
「愛」は、実にさまざまです。
この挽歌を読んでコメントやメールを寄せてくださる人もいますが、
それを読んでいて、それがよくわかります。

学生時代、映画館にかなり入り浸っていました。
「愛」をテーマにした、イタリアやフランスの映画もよく行きました。
恋愛体験もないくせに、いささか頭でっかちの恋愛感を持っていました。
節子は、最初はたぶん戸惑ったことでしょう。

40年の節子との生活は、いろいろありました。
波風も全くなかったわけではありません。
しかし、私の愛も恋も、次第に節子に収斂しだしました。
映画の世界を抜けて、実際の世界へと引き寄せられたのです。
節子と一緒にいるだけで、最高に幸せでした。
節子も、そうだったと思います。たぶん、ですが。

節子を見送った後、次第に強くなってきたのは、愛の哀しさです。
愛は、歓びを与えてくれますが、その大きさに比例した哀しみも用意してくれています。
人を愛するということは、その哀しみを覚悟するということなのです。
その覚悟がなくては、人を本気で愛することなどできません。
しかし、残念ながら、若い頃にはそんなことなど気づくはずもありません。
私もそうでした。
それに気づいたのは、節子を見送ってからでした。

その覚悟があれば、節子との最後の数年は少し違ったものになったかもしれません。
しかし、私は、その覚悟から逃げていました。
節子は絶対に治るものだと信じ込んでいたのです。
今から思えば、一種の逃避かもしれません。
節子は、そうやって逃避する私をたぶん責めはしないでしょうが、知っていたはずです。
いま思えば、そう感じます。
節子は、いつもやさしかったのです。
信ずるのも愛ならば、騙されるのも愛かもしれません。

哀しみの愛と歓びの愛。
いま私は、哀しみの愛のなかにいます。
歓びの愛にもう一度戻りたいと思いはしますが、それはかなわぬ思いです。
しかし、ふたつの愛を体験してこそ、節子への愛は成就するような気がします。
哀しみの愛の中でこそ、見えてくる節子の魅力もあるからです。
それによって、節子を愛したことの歓びが実感できるのです。
節子と別れて、私はますます節子にほれ込んできました。
人を愛することができるほど、幸せなことはありません。

挽歌を書いていると、いろんなことに気づかせてもらえます。

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