■節子への挽歌1448:輪廻でもなく解脱でもなく
数日前までの酷暑が嘘のように、節子が彼岸に戻ってから、肌寒ささえ感ずる日が続いています。
節子が、酷暑を持っていってくれたのでしょうか。
そんな思いがするほどに、急に涼しくなりました。
人は身勝手なもので、暑い時は涼を求めるくせに、涼しくなると暑さがほしくなります。
新しい世界よりも、慣れ親しんだ世界を懐かしむようになったら、人生は終わりだと考えていたころがあったことを、思い出しました。
私は、過去にはほとんど興味を持たないはずだったのに、最近は未来よりも過去に生きているのかもしれません。
それが良いとか悪いとかではなく、ふとそんな気がしました。
もちろん、今も決してそうではありませんが。
夏から秋へ、此岸から彼岸へ。
人は世界を渡り歩いているのかもしれません。
しかし、違う世界へ向かう時には、ある種の高揚感が生まれます。
だから、季節の変わり目が、私は好きでした。
あるいは、違った文化の世界が好きでした。
節子がいなくなって、世界は変わりました。
私が動かなくても、夏が秋になるように、変ったのです。
いまから思えば、たしかにその時、私は高揚していたかもしれません。
告別式での挨拶や弔問客への対応、妻を亡くした私が元気そうなのを見て、驚いた人がいるかもしれません。
世界を移る時には、だれかがきっと「ちから」を与えてくれるのです。
節子がいなくなった世界はもうじき4年が経ちます。
その世界は、奇妙に完結していて、時間の流れが不安定です。
しかも重力が大きいようにも思います。
その世界は、決して居心地が良いわけではないのですが、違う世界に動きたいとも思わない、不思議な世界です。
言い換えれば、もう次の世界に渡り歩く気がなくなった、ということです。
「出家」という言葉がありますが、どこかそんな思いに通ずる気もします。
この世界からは此岸が良く見えますし、彼岸さえ見える気がする。
輪廻と解脱ということも、時に感じます。
もう前にも後にも進むことなく、あえて「瞑想」もすることなく、自然にあることでいいのだと誰かから言われているような気もするのです。
しかし残念ながら、まだ心の平安は得られずにいます。
とても宙ぶらりんの心境です。
いま私は本当に生きているのかどうか、時々、疑問に感ずる事があるのです。
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