■節子への挽歌1430:その時は良い考えだと思った
前の挽歌を書いているうちに、なぜか急に行きたくなりました。
大学時代に友人と紀伊半島を無銭旅行しました。
南紀の白浜の砂浜で一夜を明かした記憶はありますが、青岸渡寺に行った記憶はありません。
あの大滝のイメージは記憶の世界にはあるのですが、私の記憶はかなり狂っていますので(記憶する習慣が昔からありません)、確実ではないのですが、那智には行っていないと思います。
那智の大滝は、見ていると観音が浮かび上がってきます。
だとしたら、会いに行かねばいけません。
同居している娘を誘ったら、「お父さんの提案は思いつきだから24時間と持たないでしょう」といなされました。
そういわれると返す言葉もありません。
その通りだからです。
私の好きな映画に「荒野の7人」という西部劇があります。
黒澤明の「七人の侍」の西部劇版です。
そこにこんな会話が出てきます。
準主役のスティーブ・マックィーンの言葉です。
裸でサボテンに抱きついた男がいた。何ということもない話ですが、大学生の頃、この映画を観た時からずっと印象に残っている言葉です。
どうしてそんなことをしたのかと訊いたら、その時は良い考えだと思ったんだと答えた。
いささか大げさに聞えるでしょうが、私のその後の生き方に大きな影響を与えています。
その時、良い考えだと思ったら、ともかくやってみればいい、というわけです。
この話は節子には何回かした覚えがあります。
節子は私のようにこの話には感動もしなければピンとも来なかったようです。
むしろ、私には「あなたは後先を考えずに行動するから気をつけてね」と時々言っていました。
しかし、そういう節子も、娘たちのいる前で、「どうして修となんか結婚したんだろうか」と言っていましたから、まあ節子も同じようなものです。
その時は「良い考え」だと思っていたのです。
人間はみんなそうでしょう。
節子がいなくなってからも、私は、その時々に「良い考え」だと思うことに素直にしたがって生きています。
しかし、娘が言うように、「良い考え」が次々に浮かんでくるので、なかなか実現するまでに至りません。
困ったものです。
ところで、青岸渡寺もいいですが、やはり渡岸寺のほうがいいかもしれません。
それに那智はちょっと遠いですね。
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コメント
サボテン男の話、納得です。
この年になると、思いついたことも、間をおいて考え、そのうえで実行するようになりましたね。
が、若い頃のことを考えると、サボテン男のことを笑うことはできません。 以上
投稿: 横手紀昭 | 2011/08/03 08:35
横手さん
ありがとうございます。
私はまだサボテン男のままなのが問題です。
困ったものです。
投稿: 佐藤修 | 2011/08/03 08:48