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2011/09/12

■節子への挽歌1471:年を経るごとに思いは深くなる

節子
9.11事件から10年が経ちました。
9.11事件の時は、私は帰宅していて2階で仕事をしていました。
階下でテレビを見ていた節子や娘に呼ばれて降りていったら、想像を超えた映像が目に入ってきました。
あの日から10年。
自分が当事者ではない事件は、時間が速く進むものです。

10年目の今日、何もなければいいがと念じていました。
その一方で、防弾ガラスの陰で式典に臨んだオバマ大統領にはがっかりしました。
ケネディとはやはり違います。

9.11事件で息子さんを亡くされた日本人がテレビの取材に答えていました。
「年を経るごとに思いは深くなる」
当事者の中では、もしかしたら時間は逆流しているのかもしれません。

節子を見送って4年が経ちました。
この4年は一体なんだったのだろうか。
時々、そう思います。
思いを深くする以外に、生きる術が見つからないのです。
おそらく私の周りにいる人は、私のそんな気持ちには気づいていないでしょう。
元気そうな私を見て、新しい人生を踏み出したと喜んでくれている人ばかりです。
私と日常的に付き合っている人は、わざわざ挽歌を読むこともありません。
それに読む必要もない。
この挽歌の世界は、私の毎日の生活とは重ならないかもしれません。
それは自分でも少し感じています。
しかし、時に無性に虚しくなります。
虚しくなると全身から生気が引きます。
何かに癒されたいという気さえ起きないくらいに、生気を失います。
そして時に、不安が沸き起こります。
だから、思いを深くする以外に、生きる術が見つからないのです。

10年目の追悼式、7回忌。
そういう誰にも認めてもらえる節目には、元気になれるのです。
そういう時に、溜まってしまった思いを少しだけ軽くできるのです。
しかし、それがいつもあるわけではありません。
いつもは、一人で思いを深くする以外ないのです。

3.11も9.11も、二度と起きてほしくありません。
もちろん9.03も。

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