■節子への挽歌1469:2人で出し合えば、時間は数倍になる
節子
昨日は朝から夜まで時間がとられて、挽歌を書く暇がありませんでした。
暇がないというのは、私が一番嫌いな言葉ですが、本当は暇ではなくて、気力がなかったというべきですね。
時間がないからできなかった(できない)というのは、私たちの間では理由にはなりませんでした。
そんな生き方は、私の生き方でもありません。
しかし最近は、そういう理由を思いついては、怠惰に過ごしています。
節子がいたら、変わったわね。と笑われそうです。
暇がないという人ほど、暇だというのは、会社時代に私が気づいたことです。
人が発する言葉のほとんどは、事実の反対なのかもしれません。
私は、節子によく「愛しているよ」と言いました。
上の論理から言えば、節子を愛していないが故に口に出した言葉かもしれません。
実際に、節子はいつも、あまりに軽く言うので真実味がないと笑っていました。
私が、節子を愛していたかどうかはともかく、最近は何が何でも毎日挽歌を書くという気力はなくなってきました。
困ったものです。
しかし今のところ、数日のうちに、節子後の日数と挽歌の番号は一致させるようにしています。
と言うわけで、今日は2つの挽歌を書こうと思いますが、寝不足で頭がフラっとしています。
全くもう困ったものです。
昨日の午後はある研究会に出ていましたが、被災地支援の話をした人が、
「2人で分け合えば、悲しみは半分になり、喜びは2倍になる」
という言葉を引用しました。
よく聴く言葉ですが、この言葉は、その通りです。
その言葉を聴きながら。こんなことを考えました。
「2人で出し合えば、時間は数倍になる」
最近、暇なのに時間がないのは、節子がいないためです。
節子は、私の世界と共に、私の時間まで、彼岸に持って行ってしまいました。
困ったものです。
暇なのに時間がないのは、けっこう辛いものです。
| 固定リンク
「妻への挽歌08」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1600:「節子がいる私」と「節子のいない私」(2012.01.20)
- ■節子への挽歌1599:苦労こそが人を幸せにする(2012.01.18)
- ■節子への挽歌1598:青空(2012.01.17)
- ■節子への挽歌1597:家族と夫婦(2012.01.16)
コメント