■節子への挽歌1483:もっと節子を手伝っておけばよかったです
節子
来週、我孫子の手づくり散歩市です。
最近はわが家も会場になっていので、ジュンが工房に来た時に少しずつ庭の手入れをはじめていたのですが、この台風で見事なほどに花木がやられてしまいました。
節子がいたら、花の植え直しもしてくれるのでしょうが、何しろわが家の園芸部はジュンと節子だけで、あとの2人は苦手なのです。
先日、写真を見ていて、節子がいた頃の庭の華やかさの見事さを思い出しました。
ガーデニングとはとてもいえないような小さな庭ですが、四季を問わず、わが家はいつも花が咲いていました。
節子は家の中の掃除はかなり手を抜いていましたが、庭の手入れはこまめにやっていました。
私のケアよりも花木のケアのほうが、節子は好きだったかもしれません。
花屋さんから枯れそうな花をどっさり買ってきて、元気にさせていました。
まあ、時には私も元気にしてはくれましたが。
花木は愛情を込めて、毎日、会話しながら育てないといけませんし、ちょっと気を抜くと元気を失ってしまいます。
夫婦と一緒です。
節子がいた頃は、わが家の花木も幸せだったことでしょう。
節子の後、ジュンが頑張ってくれていますが、結婚してしまったので、そうそうやれません。
私も毎日、水をやりながら、花木を気にしていますが、自分で植えた節子にはとても及びません。
節子のいた頃に比べれば、花の種類も数も半分以下になってしまったでしょう。
節子が大事にしていた木を枯らせてしまい、これは大変だと植え替えて丹精にケアした結果、復活した2本の木も(以前、この挽歌にも書きましたが)、新芽がでてきてホッとして気を抜いてしまい、結局、ダメにしてしまいました。
合わせる顔もありません。
生き物を育てるということは中途半端ではできないことです。
手入れができないのだから、思い切ってもっと整理したらと娘たちは言います。
しかしその気にはなかなかなれません。
花木の一つひとつに節子が重なるからです。
手入れが行き届かずに枯れてしまって、結果的には整理されているわけですが、娘からそういわれるともっと手入れするよと言ってしまうのですが、なかなか心身が動きません。
困ったものです。
今日はジュンが手入れをしていたので、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ手伝いました。
節子が元気だった頃、もっと手伝えばよかったです。
手伝っておけばよかったことは、ほかにもたくさんあります。
節子が元気だった頃、私はいったい何をしていたのでしょうか。
何が大切なのか、きっとわかっていなかったのでしょう。
大切なのは、愛する人と時間を共にすることです。
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