■節子への挽歌1482:流れにまかせた生活への反省
節子
こたつがほしくなるような日になってしまいました。
去年も書いたような気がしますが、最近は秋がなくなってしまったようです。
この夏は、結局どこにも行きませんでした。
この秋も、そうなってしまうのでしょうか。
いろんな相談が持ち込まれて、それを受けて予定表を埋めていくとどんどんつまっていってしまいます。
だれかから何かを頼まれると、断ろうと思っていても、気が付いてみると引き受けているのです。
断るための「理由」がないからなのです。
そうした受動的な生き方に陥らないように、それに抗うように、私自身が主催するサロンなどもいろいろとやっているため、さらに予定表は埋まっていきます。
その結果、なんとなく何かをやっているような気分になって、わざわざ奈良まで行く努力をしなくなってしまうわけです。
しかし、自分で計画しなければ、何も動き出しません。
節子が促してくれるわけでも、誘ってくれるわけでもありません。
このままだと、気がついたら今年も終わりと言うことになりかねません。
これではいけないので、何が何でも10月には奈良に、11月には箱根に行こうと思います。
日常生活だけでは、気がどんどん沈んでいってしまうからです。
人には「ハレの日」がなければいけません。
実現できればいいのですが。
節子がいる時は、「生活を楽しくしよう」という意識が働いていました。
しかし、節子がいなくなってからは、「生活をどうこうしよう」という発想はなくなり、ただただ「流れにまかせて生活している」という感じです。
ようやくそのことに気づきだしたというところです。
今までは、それさえも気がつかなかったのです。
もっとも、だからといって、「生活を楽しくしよう」という気も起きませんが、最近のちょっと気が沈んだ生き方にはかなりの自己嫌悪を感じているのです。
抜けないとますます沈んでいきそうです。
今日はお彼岸。
20日ぶりにお墓参りに行きました。
節子が心配しているかもしれません。
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