■仕事とお金を稼ぐことは分けて考えたほうがいい
上関町の町長選挙のことをフェイスブックに書いたら、いくつかのコメントをもらいました。
そのなかに、「過疎地の切実な問題という側面もあると思います」という表現がありました。
私は過疎地に住んだことがありませんが、過疎地という言葉が30年まえから理解できずにいます。
それに言われているほど、マイナスだけではないと思います。
なぜならみんなそこに住み続けているからです。
地域の活性化という言葉も、あまり好きではありません。
なんだかとても人為的だからです。
いささか考えすぎかもしれませんが、お金が付きまとっているような気がするのです。
きっとそれによって被害を受けている人もいるはずです。
経済的に得をしている人がいるからです。
上関町は原発のおかげで仕事が増えたという人もいます。
原発で増えた仕事とはなんでしょうか。
自動車事故が増えても、戦争が起きても仕事は増えます。
私たちはお金を稼ぐことが仕事だと考えがちです。
そしてお金をもらわない仕事をボランティアなどといいます。
この発想が私にはなじめません。
昨日、高崎のささえあい交流会でも話させてもらいましたが、
仕事とお金を稼ぐことは分けて考えたほうがいいように思います。
もしお金を稼ぐことが仕事ならば、強盗も仕事になりますし、詐欺も仕事になります。
その違いをしっかりと認識していないが故に、詐欺まがいの、あるいは強盗まがいのビジネスが生まれます。
あるいは、仕事の中に、そうした要素が入り込みやすくなります。
私は20数年前に会社を辞めて以来、両者を切り離して考えるようにしています。
仕事観を変えると生活は変わります。
上関町の対岸にある祝島の人たちの仕事観や生活の仕方と上関町の人たちのそれとはかなり対照的のようです。
原発が建設されないと仕事がない、というお金まみれの仕事観を変えることが大切なような気がします。
ハイデマリーの実験は、そうしたことをメッセージしています。
お金を稼ぐことから生活を発想せずに、生活することから発想すれば、仕事は山のようにあるはずです。
雇われ仕事だけが仕事ではありません。
雇われることも社会を支えるためには大切ですが、心まで雇われてしまっては、悲しいです。
ある人が、エコノミックアニマルではなく、エコノミックスレーブだと書き込んできました。
そうはなりたくありません。
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