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2011/09/22

■お金がない生き方

最近、面白い本を読みました。
安冨歩さんという東大の教授の「経済学の船出」です。
安冨さんの本は以前、「生きるための経済学」を読んだことがありますが、これも面白かったです。
たとえば、「自立とは、多数の他者に依存できる状態」というような、実際に自分を生きている人ならではの言葉がたくさん出てきます。
「経済学の船出」は、過激な本です。
私には1点を除いて、実に痛快でした。
最近の経済学に辟易している人にはお薦めですが、今日、取り上げるのは、その本に出てきたハイデマリーの実験の話です。
ハイデマリー・シュヴェルマーは、私とほぼ同年齢のドイツ人女性です。
彼女の実験とは「お金なしの生活の実験」です。
彼女は1996年に、ほとんどすべての所有物を手放し、アパートを引き払い、健康保険さえも解約し、仕事も辞めて、「お金なしの生活の実験」を開始したのです。
そしてそれから4年間、公衆トイレさえお金をとるドイツ社会で、お金をまったく使わないで生活し、その後も、お金をほとんど使わないで暮らしているのだそうです。
「経済学の船出」での紹介を読む限り、その考えは私と同じです。
もしそれが本当であれば、私が理想として実現できていない暮らし方をすでにやっている人がいるわけです。
理屈だけの私と違って、素晴らしい。
そこで、彼女の生活報告「食費はただ、家賃も0円!お金なしで生きるなんてホントは簡単」(角川書店)を早速取り寄せて読んでみました。

基本的にはとても共感できましたが、同時に私の考えとは違うこともわかりました。
というよりも、私よりは金銭に依存しているように思いました。
しかし「お金への執着」から解放されると実に生きやすく楽しくなるということにおいては、彼女の実践には魅力があります。
以前読んだ、韓国の法頂師の「無所有」にも通じてるところもあります。
コモンズを生きているハイデマリーの「強かさ」には共感しながらもどこかに違和感を持ちました。
少なくともそれは私には大きく欠落しているところです。

私は「金の切れ目が縁の始まり」という考えを大事にしています。
お金を基準にして生きている限り、心をつなぐ縁も、心からの歓びも得られないと思っているからです。

お金がない生き方を目指している方に、とりあえずお薦めの1冊です。

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コメント

彼女のやっていることはお金を持たずに生活することであることは確かで崇高な理念かもしれない。だが、みんなが自分と同じような考えで過ごせば、社会にお金なんて無くても成り立つという論理には間違いならぬ「勘違い」が多々感じられる。
彼女がお金を使わない代わりに善意の第三者がお金を払っている。物を交換する最初の物は拾った物かもしれない。それは誰かが買って捨てたりくれたりした物だ。そこにお金が関わってくる。そしてそれとある意味等価で交換しているのか?いえいえ少し値打ちの上の物に買えてもらうことが多いです。そこにお金に換算すると少しの損益が相手に生じる。そこはお金ではなく相手の気持ちだと彼女は間違いなく言うであろうが。。彼女は講演などに呼ばれたら相手が列車の切符をくれて・ホテルを借りてくれるのでお金は無くても移動できると言う・・・そりゃあんたは使ってないが。。。そして普段の宿泊。彼女のファンが呼んでくれて泊めてくれるんだと。。そこで彼女の為に使った電気代はそのファンが払ってるし、そもそもその家はファンが払って買った物。そこにお金が関わってくる。
などなど、彼女の生活は彼女のファンの無償の(彼女が来てくれるだけで嬉しいらしいが)奉仕によって成り立っているだけ。まさに教祖様が騙されてる?信者からのお布施(お金じゃなく物の)で生活してるだけなのだが。ただ彼女が現金を見ずに生活することが可能なシステムになっているだけ。完全に新興宗教の教祖様です。
なので世界中のみんなが彼女と同じことしたらネズミ講のように破綻してしまいます。ご注意を。
※要するに彼女一人(または世の中のほんの少しの人)だから成り立つシステムなんですね。

投稿: まんま | 2011/11/17 23:38

まんまさん
ありがとうございます。
かなり同感です。
つまり他者のお金に依存した生活ですから。
しかしお金の後にある実体を考えさせてくれる上で示唆に富んでいる問題提起だと思います。
また留守宅を預けてもらえるほどに、他者に信頼される生き方にも興味を感じます。

投稿: 佐藤修 | 2011/11/18 09:03

先程テレビで彼女の番組を見ました。

話題性、持続性、そして私個人の共感するところをお話させてください。

お金から離れた生き方がしたいと思い主張する人はたくさんいて、その方法も様々だと思います。
その中で彼女が少し目立ってきたということでしょうか。

他人の所有物や財産を使って生きているという事がまず表面的に目につきます。となれば懐疑や嫌悪、批判の声が挙るのは当然だと思います。
番組の中で、彼女が哀れにも辱めを受けるようなシーンがあります。どこかの国のテレビに出たがためにMCに茶化されてオーディエンスごと彼女を馬鹿にしている、いじめているようながムードが明らかに見て取る事ができました。しかし皮肉にもそういったある種の妬みを帯びた感情はより多くの人に伝染し、ことお金に関しては絶大な悪の可能性を秘めていることは周知のことと思います。


彼女のそうしたスタイルが人々の免疫のない部分で起こったので究極的に見えたのでしょう。
どの分野にも究極的な人はいると思いますが究極が故にいろいろな論争は不可欠でまた、威力をもってアピールできる。
最も彼女はそれを意図しているように思いませんが。


支援者との関係。
例えば、何でも良いですがあなたがとても心を打たれた絵や音楽もしくは映画などがあります。
そういう瞬間に、表面的な違和感というのは感じないでしょう、そのような事とは非にならない価値を見つけてしまったから感動して取り憑かれたように夢中になるのだと思います。
それを、場合によっては信者にも見えうる彼女を取り巻く方々に当てはめて考えれば彼らもまた、今まで抱いていた心の違和感を吹き飛ばすほどの価値を感じているのでしょう。そうでなければ最初は良くても、長続きできない。


お金の後にあるもの、彼女のいうシンプルな生き方とは、お金で買えるものを得るためにお金を求める生き方より、
生き物としての人間らしさを楽しむ充実感や幸福感を得る事じゃないかと思います。
お金を基準に関係を築けば損得を一円単位で考える。「ひと」として関われば個人がうまれる。
例えば、お金というプレゼントが欲しい人がいて、それを手にした瞬間にビリビリに破いて捨てられたラッピングがあなた。焦点がお金か、あなたか。ラッピングがお金だとすればこの場合中身があなた、何も切なくなりません。ね。。

どんな方法にしても人間の内部的充実感を感じてそれを求める生き方が全体に無理がなく又意味があり幸福感が増すと、信じているのではないでしょうか。僭越ながら私は彼女からもそれを感じ、共感する次第です。

投稿: サポテ | 2011/12/05 00:31

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