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2011/09/29

■節子への挽歌1487:「長い灰色の線」

夫婦を描いたひとつの映画がずっと私の記憶の中にあります。
「長い灰色の線」です。
たぶん高校時代に観たと思います。
まだ「夫婦」とは何かなどということにはほとんど意識がない頃でしたが、この映画はなぜか私の心に2つの強い気持ちを残しました。
「心からのあたたかさ」と「おそろしいほどの哀しさ」です。
映画は、結婚から死別までの夫婦の人生を描いた映画だったと思いますが、ストーリーはあまり覚えていません。
ただ、夫が妻を見送ったはずです。
その映画は、伴侶との別れの「おそろしいほどの哀しさ」の不安を私に植え付けました。

節子が元気だった頃、テレビで「長い灰色の線」が放映されたことがあります。
ずっと気になっていた映画だったのですが、いざテレビで放映されるとなると、観たい気持ちよりも、観たくない気持ちが大きく、結局、見送りました。
その時に思ったのは、いつか節子と一緒に心穏やかにこの映画を観たいということでした。
しかし、まさか私がこの映画の主人公のように、節子を見送るなどとは思ってもいませんでした。

物語の内容はほとんど記憶がありません。
覚えているのはアイゼンハワー(もちろん本人ではありません)が登場したことくらいです。
それなのに、なぜか「おそろしいほどの哀しさ」が、忘れようもなく、心の奥深く沁みこんでいるのです。
その映画は、もしかしたら、節子を見送ることを私に教えてくれたのかもしれません。
もちろんその映画を観た時には、私には節子の存在すら知りませんでした。
にもかかわらず、なにかどこかでつながっているような気がするのです。

しかしどうして「長い灰色の線」の映画のことがずっと気になっていたのでしょうか。
その映画のことを忘れたのは、たぶん節子の病気がわかった頃からです。
そしてつい最近までです。
ふつうに考えると思い出すべき理由がある時期に忘れてしまっていたわけです。

「長い灰色の線」の映画を急に思いついたのは理由があります。
先週、テレビ番組表で映画「シマロン」が放映されることを知りました。
この映画も結婚から死別までの夫婦の人生を描いた映画です。
この映画では先立つのは夫です。
この映画を観たのは大学時代で、印象に残っているのは主人公の生き方でした。
ただ最後に夫婦の真髄を感じたような記憶があります。
しかしこの映画も物語は覚えていません。

夫婦は楽しく幸せなものと、私はずっと思っていました。
しかしその夫婦になる前には、私は夫婦とは哀しく不安なものだということを知っていたのです。
それを忘れさせてくれていた節子に感謝しなければいけません。
節子との暮らしは、「心からのあたたかさ」でつつまれていましたから、ただただ「楽しく幸せなもの」でした。
その「あたたかさ」は、もう二度と体験することはないでしょうが。

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