■「ナバホであるとはどういうことか」
25日に高崎で開催された「食」をテーマにした交流会に参加しました。
地の野菜をつかった食事が出ました。
会を主催した高石さんが、「食と農と医」はみんなつながっている、と話しました。
それを聞きながら、昔読んだナバホの話を思い出しました。
どこかの本に書いてあったと思い、昨日、探してみました。
「ナバホへの旅 たましいの風景」という2002年に朝日新聞社から出版された本でした。
河合隼雄さんとぬくみちほさんの対談が出ていて、そこでぬくみさんが紹介している話でした。
どの本だったか探すのは大変でしたが、その本のその箇所に折り目がついていたのですぐわかりました。
少し長いですが、引用させてもらいます。
ナバホが運営している小学校の、農業の先生がおっしゃっていました。
先生が小学校4、5年生を谷へ遠足に連れていったときに、大きな枯れ木の下に子どもたちを集めて、「お前たちはアメリカ人か、インディアンか、それともナバホか」と聞きました。
子どもたちはナバホ、と答えます。
すると今度は、「ナバホであるとはどういうことか」と尋ねたんですが、子どもたちはわからない。
すると先生が「この谷でとれるものを食べることだ」と教えました。
この谷にどういう植物が生きているのか、どういうサボテンが生えているのか、どれが何に効く薬草なのかということをきちんと知っていることがナバホなんだと。
そして先生は子どもたちに、「君たちはインディアンにも、ネイティヴ・アメリカンにも、アメリカ人にもなるな」と言いました。
素晴らしい授業でした。
私も、それを聞きながら、「日本人であるってどういうことなんだろう」と考えさせられました。
私が「市民」という言葉よりも、「住民」という言葉を大事にしているのも、こういうことなのです。
地産地消もコミュニティビジネスも、その出発点はこういうことでなければいけません。
生活を支えてくれる自然を、自らの一部として生きることは、簡単ではありません。
残念ながら私にはもうできそうもありません。
しかしこうしたことをいつも意識して生きたいと思っています。
ゆいの家での交流会で、ふと思い出したので、紹介させてもらいました。
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