■エコノミック・アニマルの末路
1970年ごろに流行語になった言葉に「エコノミックアニマル」があります。
最初は近代経済学のモデルでもある「ホモ・エコノミクス」(経済人)の模範例としての日本人を表現していましたが、次第に働き蜂、お金信奉者の日本人を揶揄する意味で使われるようになりました。
良い意味から悪い意味に変化したのは、お金の持つ魔力と無縁ではなく、当然のことだと思います。
私にとっては、エコノミックアニマルは仕事中毒と言うよりも、金の亡者というイメージです。
最近は、この言葉は、良い意味でも悪い意味でも使われなくなりましたが、昨日の上関町の町長選挙の結果を知って、その言葉がなぜか自然と浮かんできました。
エコノミックアニマルはまだまだ日本国民の多数派なのだと思いました。
福島原発のような事故を体験してもなお、変わらないのでは、もう骨の髄まで達しているのかもしれません。
しかし、海を挟んで立地している祝島では自然と支え合った豊かな暮らしが営まれています。
まだお金の汚染されていない地域は残っています。
残っているというよりも、見直されて、改めての発展をはじめているというべきかもしれません。
残念ながら両者は両立できません。
金の亡者たちは自然はすべて自分のものと考えており、自然がつながっていることな気にしません。
上関での原発建設は、祝島の生活を脅かすことになります。
さらにひとたび事故でも起こせば、福島原発事故が世界を脅かしたように、子孫の生活を及ぼすように、大変な事態になります。
現世代の上関町の住民は、お金が潤うかもしれませんが、彼らは独立した空間で生活しているわけではありません。
宇宙船地球号という認識が広がりだしてもう半世紀近くなりますが、上関町の人たちには届いていないようです。
エコノミックアニマルの末路は歴史が教えてくれています。
いや歴史などといわずとも、最近の日本の状況が示唆しています。
上関町の住民たちは、すでに長いこと原発建設を巡って二分されているようです。
国や電力会社が罪深いと言う人が多いですが、一番問題なのはそこの住民だろうと思います。
昨日の選挙結果にはショックを受けました。
そしてこれほどの大きな事件をテレビがきちんと報道しなかったことにも驚きました。
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