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2011/09/20

■節子への挽歌1479:最近墓参をさぼっています

節子
最近、墓参りを少しさぼっています。
毎週、墓参すると娘たちには宣言していたのですが、この頃は、月に2回ほどになってしまいました。
最近はもう2週間ほど行っていません。
今週末のお彼岸までまあいいかと思っていました。
まあ、相手が節子だからいいだろうと、ついつい甘くなってしまうのです。
節子が考えることと私が考えることは、いつもほぼ同じだったからです。

今日は朝から湯島のオフィスに来ているのですが、先ほど、娘から電話がありました。
娘たちでお墓に行ったのだそうです。
そうしたら新しい花が供えられていたそうです。
たぶん花かご会のみなさんだろうというのです。
花かご会のみなさんは毎年命日を覚えていてくれるのです。
うれしいことです。

わが家のお墓の近くに、節子の友人の伴侶のお墓があります。
その方は必ず月に2回お墓参りに行くそうです。
その時に必ずお線香を一本だけ節子のお墓に供えてくださっているそうです。
私の友人たちがこんなに来てくれるのに、やはりあなたは誠意がないわね、と節子に怒られそうです。
困ったものです。

ところでお墓に行く意味は何でしょうか。
節子の位牌はわが家にありますし、あえてお墓に行くこともないような気もします。
土葬だった時代はそうもいきませんが、いまはマンションの中にお墓がつくられる時代です。
だとしたら、あえてお墓はお寺でなくてもいいかもしれません。
お寺のお墓とわが家の庭の献花台と家の中の位牌壇と寝室の節子のコーナーと、節子はどこが一番居心地がいいでしょうか。
少なくともお寺ではないでしょう。
そう考えるとお墓のあり方を考える必要があるかもしれません。
もし自宅の位牌壇を本拠地とすれば、お墓参りの意味も変わってきます。
決して、私がお墓参りをさぼりたくてこう考えているわけでは在りません。
念のため。

時々、亡くなった家族と同居しているという「事件」が報道されます。
その報道に触れるたびに、私は複雑な気持ちになります。
少なくとも、そうした人を責める気にはなれません。
私もできれば、火葬などすることなく、ましてやお墓などに埋葬することなく、ずっと節子と一緒にいたかったからです。
それが適わぬことであることはもちろんわかっています。
しかし今でも時々後悔したくなるのです。

なんだか最近、お墓参りをさぼっている言い訳の挽歌になってしまいました。
でも一つだけ言えることがあります。
お墓参りが日常の暮らしの中に組み込まれることは、とても意味のあることだと思います。
特に子どもたちにとって意味があるように思います。

間もなく、お彼岸です。
またお寺がにぎわいます。
にぎわっているお墓の雰囲気が、私はとても好きです。

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