■節子への挽歌1473:未来から挽歌を書いたらどうなるか
節子
いろんな人が湯島に来ますが、昨日、未来の情報アーカイブをみんなで創るプロジェクトに取り組んでいる未来新聞の森内真也さんがやってきました。
私たちは、現在から未来を考え、過去を語りますが、森内さんは未来から現在を過去形として語ることで意識が変わるというのです。
話していて、とても波長が合いました。
2時間を越える時間でしたが、あっという間でした。
久しぶりに時空間を越える話ができました。
断片的な記憶を再編集することで、過去が変えられるように、未来に視座を置けば、現在も変えられます。
言い換えれば、過去も未来も現在も、確実なものではないのです。
所詮は脳内の記憶の動きで変わりうるのです。
それはともかく、未来からこの挽歌を書いたらどうなるでしょうか。
3年後の自分を想定し、そこから挽歌を書くわけです。
3年後には私もまた彼岸にいるかもしれない。
彼岸に行ってから、今の私を振り返ったらどうでしょうか。
面白い気がします。
節子と一緒に話し合っている挽歌になるかもしれません。
3年後に再婚していたらどうでしょう。
まあこの可能性は限りなくゼロに近いですが、世の中には絶対に起こらないことはありません。
その場合の挽歌はどうなるか。
続いているかどうかさえ危ぶまれますが。
3年後にも相変わらず節子を思いながら挽歌を書いているとしたらどうでしょう。
あんまり面白い想定ではないですが、3年という時間の経過が私をどう変えているか、これも興味があります。
ちなみに、私自身は3年後の自分はほぼ見えています。
この歳になると、3年という年月はほとんど誤差に近いからです。
久しぶりに時間について話し合いましたが、そのおかげで、止まっていた私の時計も動き出すかもしれません。
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