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2011/09/01

■節子への挽歌1460:夢から目覚め、現実からも目覚める

節子
4回目の命日は、台風がやってくる大荒れの日になりそうです。
今年は3回忌と7回忌の間で、とくにお坊さんにお経をあげてもらう予定はないのですが、まあ自宅でしずかに節子を偲ぼうかと思います。

この挽歌を読んでくださっている方からメールが来ました。
この人も数年前に伴侶を見送っています。

早 9月ですね 節子さんのご命日がすぐです
時間薬とは 慰められる時よく耳にする言葉で そうですね と一応答えますが 何年たっても 時が心を癒すことはありません この間 ふと目覚めると 隣のベッドが盛り上がっていて なんだ 寝ているじゃない 死んでなんかいないじゃない なんて長い 悪い夢見てたんだろうと 手を伸ばしたら 眼が覚めました しばらく起き上がれませんでした 
夢と現実が逆転してくれたら、と私も時々思います。
しかし、映画「マトリックス」で描かれていたように、これは荒唐無稽の発想ではありません。
生命現象の大きな枠組みで考えれば、すべては夢といえるのかもしれませんし。
そんな気もします。

ブッダとは、普通名詞においては、「目覚めた者」という意味です。
つまり、現実に生は夢と考えているのです。
チベット仏教には、夢のヨーガ(瞑想)というのがあるそうです。
夢の中で、これは夢にすぎないのだと気づく練習をするのです。
チベット仏教では、死後49日、幻の身体を持ってさまようとされています。
そこで、物理的な身体に束縛されていた認識を解放する事ができるかどうかが大切になってきます。
多くの人は、幻の身体のイメージを作り上げて、それに執着してしまい、また生まれ変わってきてしまう。
これが輪廻です。


夢から目覚め、現実からも目覚める。
夢を夢としていき生き、現実を現実として生きる。
そのいずれにおいても、目覚める自分、生きる自分がいます。
自分がいれば、夢でも現実でも、さほどの違いはないはずなのです。

しかし、夢が現実であってほしい、現実が夢であってほしいと、まだ目覚めきれない私は思ってしまいます。
最近また、よく夢を見ます。

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妻への挽歌08」カテゴリの記事

コメント

こんにちは~
とてもお勉強になります。夢として生きる。現実として生きる。
今が夢なら…毎晩、お仏壇の主人に夢で会ってね~と言っています。夢に出てきてね~と
言っています。最近、来てくれません。私が夢の世界にいるんでしょうか。
不思議な世界です。もっと、知りたくなりました。彼岸の世界を~
ありがとうございます。   ~もう秋ですね。    ライム

投稿: ライム | 2011/09/02 15:05

ライムさん
実は今朝、妻の夢を見て起きました。
なんと妻から電話がかかってきたのです。
電話に出ると、妻が言いました。
「あれはやめましたよ」と。

起きてすぐ娘に話しました。
「あれ」ってなんだろうか、と。
もちろん2人とも思い当たることは出てきませんでした。
そしてそのことを今の今まですっかり忘れてしまっていました。

ライムさんのコメントを読み直して思い出しました。
夢はほんとに不思議です。

今夜、夢の続きが見られるといいのですが。

投稿: 佐藤修 | 2011/09/03 22:25

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