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2011/09/06

■「テロの心」を捨てたいものですが

9月11日が近づくにつれて、テレビで9.11事件の関連する番組(再放送も含めて)が増えてきました。
10年前の事件ですが、あの映像はいまだ鮮明に思い出されます。
ケネディ暗殺の映像と同じく、私の頭から離れることはありません。
あの事件は、世界の根底で進んでいることを可視化してくれたように思います。

9.11事件は陰謀だという説が根強くあります。
私にはわかりませんが、マスコミで報道されていることがすべてではないようには思います。
私がそう思うのは、フセインやビンラディンがまともな裁判も受けることなく、アメリカの大統領の指示で「殺害」されたからです。
事の真相は葬られたわけですが、そのことは「真相」が明らかになってはアメリカ政府が困ることを示唆しています。
そうでなければ、彼らを公開の場できちんと問い詰めて、自らの正当性を主張したはずです。
彼らが重要な言葉を残すことなく「殺害」されたことに対する、ブッシュ大統領とオバマ大統領のコメントは印象的でした。
国家は暴力を独占し管理下に治めたとはいえ、そこにはやはりルールがあります。
しかし2人の大統領がとった行為は、リンチに似ています。
まだアメリカは、ワイアット・アープの時代から進んでいないように思えます。
ネイティブズ殺戮の文化から抜けられないのでしょうか。

平和のために戦うという言葉ほど、虚しい言葉はありません。
たまたま今日、「6割の日本人が米軍基地を「歓迎」、中国への抑止力を期待」という記事に出会いました。
AP通信とアメリカの調査会社が行った世論調査の結果だそうです。
基地は抑止力になるかもしれませんが、同時に攻撃の誘引力にもなります。
この調査がどのようなものなのかはしりませんが、たしかに私の周りにも、中国や北朝鮮への恐れからか基地や自衛のための軍隊を肯定する人が多いです。
しかし、軍隊や基地を認めた途端に、平和の世界を捨てることになるでしょう。
戦いで得た平和は必ず戦いで失うでしょう。
平和を得る唯一つの道は、すべての戦いを捨てることです。

10年前にも思ったことですが、9.11から学ぶべきは、テロ対策ではなく、自らの中にある「テロの心」を捨てることだろうと思います。
そう思いながらも、私自身いまも「怒り」や「恨み」からなかなか解放されません。
とりわけ権力を持つ人に対しては、ついつい怒りをぶつけてしまいます。
どう処すればいいのか、なかなか答がみつかりません。
怒りをぶつけることが、いかに無様なことなのかは、知ってはいるのですが。

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