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2011/09/16

■節子への挽歌1475:「佐藤さんは幸せだね」

節子
今日は小難しい話はやめましょう。

「マリアージュ」といえば、節子は思い出すでしょうが、あの小山石さんが来ました。
彼が言いました。
「佐藤さんは幸せだね」と。
彼がそういうのだから、そうなのでしょう。
まあ幸せにやっていますから、安心してください。

幸せとは何だろう、などと問い始めると、また小難しくなりますが、なぜ彼はそう思ったのでしょう。
私が苦労しているように見えないからでしょう。
節子は知っていますが、私は「現状がベスト」と考えますし、「解けない問題はない」と考えるタイプです。
誰かがとんでもない難問を持って相談に来ても、私は話を聴いて、即座に答えます。
「その問題を解くのは簡単です」と。
その時に、私の頭の中に解があるわけではありません。
ただそう言うことに決めているだけのことです。

こうした能天気な生き方は、人を幸せにします。
どんなに不幸な状況も、これ以上ないほどの不幸でも、それを甘んじて受け容れると、それはまたそれなりに幸せなのです。
そう思えば、余計な苦労などする必要はありません。
悲しければ悲しさを、辛ければ辛さを、不安なら不安を、不幸なら不幸を、すべてそのまま素直に受け容れればいいだけなのです。
所詮、人ができることは限られていますし、奈落にも底はある。
そう思えば、どんな状況も、不幸でさえも、幸せに転じられます。
実は、その魔力を持っているのが、「愛する伴侶」です。
私の場合は節子でした。
節子は、不幸さえをも幸せに変える魔女だったのです。
節子がいなくなってから、そのことが徐々にわかってきました。
そして、最近では、その魔女の呪力が私にも植え付けられているのに気づきだせたのです。
私の心身の中に、愛する魔女が住みついているのです。
たぶんわかる人にはわかってもらえるはずです。

最近は、実に不幸な状況にもかかわらず、幸せでもあるのです。
昨日書いたベイトソンの自然のユニティの考えから言えば、不幸も幸せも瑣末な話なのでしょうが、不幸も幸せも一緒に味わえる幸せは、たぶんベイトソンは体験できなかったでしょう。
最後はやっぱり小難しい話になってしまいました。
困ったものです。

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