■節子への挽歌1484:ささえあい交流会
節子
高崎での「ささえあい交流会」に参加しました。
長野や埼玉からも、仲間たちが参加してくれました。
節子にも手伝ってもらって始めたコムケア活動(支え合うつながりを育てる会)は、少しずつですが、いろいろな物語を生み出しています。
派手さはありませんが、私にとっては、どこに行っても心を通わせあえる仲間がいるのがうれしいです。
いずれもお金とは無縁のつながりですので、切れることもありません。
昨日の会場は高崎市郊外の「ゆいの家」でした。
「ゆいの家」を主宰する高石さんは、数年前にご主人をがんで見送りました。
彼女は高校の教師でしたが、思うことあって教師を辞めて、若者たちや弱い立場の人たちの支え合う場をつくる活動に取り組みだしました。
私が彼女に会ったのは、コムケアの集まりを高崎で開催した時です。
以来、ゆるやかな交流が始まりましたが、節子の発病のしばらく後に、彼女の伴侶も発病しました。
彼女の対応は、私とは違いましたが、間違いなくそのことは彼女の生き方をまた少し変えさせたように思います。
今日の集まりで、彼女が「旦那がいたときは経済的なことは考えなくてもやれたのに」とポツンと言いました。
おそらく問題は「経済的なこと」ではないでしょう。
直接、活動に関与しなくても、伴侶がいることは社会活動に取り組む時の大きな支えになるのです。
社会活動は別にお金がもらえるわけではありませんし、達成感もあるようでないものです。
時に、なんで私はこんなことをやっているのだろうと思うこともあります。
しかし自分の活動をいつも理解して見てくれる人がいると思うとそんなことを考えることはありません。
誰にもわかってもらえなくても、妻だけは、夫だけは、わかってくれていると思えるからです。
その存在がなくなると、時に自信さえなくなることがあるのです。
ご主人の病気に、あれだけ淡々としていた高石さんの心の内がちょっと見えて、ホッとしました。
昨日の集まりに参加してくれた一人が、この場は行政やNPOがやっている集まりと違って楽しいといってくれました。
それもとてもうれしい言葉でした。
ささえあい交流会は、長野や埼玉に飛び火しそうです。
もちろん群馬ではこれから継続していくことになるでしょう。
節子
コムケアの活動ではいろいろと心配をかけましたが、順調に進んでいます。
ゆっくりですが。
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