■節子への挽歌1513:偲ぶ会
節子
黒岩さんが急逝して間もなく1年です。
湯島の集まりで、今でも時々、黒岩さんの話題は出ます。
黒岩さんが元気だったら、今頃きっとまた新しい著作を発表していた頃でしょう。
「語り継ぐ黒岩比佐子の会」の案内が届きました。
どうしようか、ちょっと迷っていました。
そしてやはり欠席の返事を出しました。
人の死を偲んで語り合うことに、私は違和感があります。
時々、そういう会の誘いは来ますが、すべて不参加です。
参加の呼びかけの返事に、欠席の理由を書いたことはありませんが、私にはそういう場が理解できないからです。
そのため、せっかく企画してくれた人の気分を害してしまったこともあるかも知れません。
冷淡だなと思われてしまったかもしれません。
妻への挽歌をずっと書き続けているのに、ほかの人の死を偲ぶことはしないのかと思われても仕方がありません。
しかし、集まって何を語るのでしょうか。
私には思うことは山のようにあっても、語るべきことは何一つありません。
たとえそれが節子であっても、です。
死はよく知り合った人たち同士でこそ語られるべきことだと思っています。
そしてそこに彼岸とのつながりがないと、私には落ち着けません。
ただ黙祷するだけの場なら、私にも参加できるかもしれませんが。
だからといって「偲ぶ会」に反対なのではありません。
そうすることによって安堵する人もいるでしょうし、語り継ぐことがその人の「生命」を蘇らすこともあるでしょう。
あるいは、そうした場で、自らの、あるいは大切な人の、死を考えることができるかもしれません。
私がいつも不参加なのは、そういう場で「語るべきこと」がないばかりか、「聴くべきこと」もないからです。
今回は「偲ぶ会」ではなく「語り継ぐ会」です。
ですからちょっと迷いました。
「音のない記憶」でデビューする前から、黒岩さんは湯島のサロンの常連でしたし、節子と一緒に黒岩さんの熱い思いを聴いたこともあります。
節子が逝ってしまった後、黒岩さんはわが家に献花にも来てくれました。
語ろうと思えば、語れることはあるのかもしれません。
しかし、そうした場に行ったら、間違いなく後悔すると思うのです。
なぜでしょうか。
理由は自分でもわからないのですが、そうした場に参加した時の自分の姿がまったく想像できないのです。
ですから、黒岩さんの会も欠席することにしました。
黒岩さんは、たぶん気分を害さないでしょう。
私の性格を、それなりに知ってくださっていましたから。
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