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2011/10/06

■節子への挽歌1495:健全さの維持

節子
最近は自分の言動のおかしさを相対化するのが難しくなっています。
節子がいた頃は、節子の反応で私自身の言動を相対化できました。
節子も私同様、あんまり常識はありませんでしたが、少なくともその反応で自分の行動を相対化する視座を得られました。
だからこそ、私としては思い切り自由に発想し行動できた面があります。

しかし、節子がいない今は、いささかの危うさがあります。
このブログの時評編の私の意見もかなり偏っているはずです。
表現はさらに独善的です。感情的で、品格もありません。
節子がいた頃は、時々、修正勧告が出たほどです。
私自身ちょっと気になる時には、予め節子に読んでもらいました。
いまはそれもできません。
ですから時に書きすぎたりして、後で反省することもあるのです。

それに最近はかなり「ひがみ根性」がたかまっているような自己嫌悪感もあります。
昔のようなのびのびした明るさは自分でも失われたと感じています。
だから最近のブログは、かなり偏っているだろうなと自覚していました。

最近、思ってもいなかったTさんがブログを読んでくださっていることがわかりました。
それで、いささか気になって、

最近はどうも社会が病んでいるような気がしてなりません。
私もそうなのでしょうが。
と弁解めいたメールをTさんに送ってしまいました。
そうしたら返事が来ました。
佐藤様はずば抜けて健全でいらっしゃいます。
「ずば抜けて健全!」
事実はともかく元気が出ました。
Tさんは私よりも10歳ほど年上、欲もなく邪気もなく、実に誠実な方です。
その人から「健全」と言われると、それは元気が出るものです。
それに私は人の言葉はほぼすべて信じてしまうというタイプなのです。

節子がいなくなってから、私の性格はかなり悪くなりました。
自分でもわかります。
人の思いやりを素直に受け容れられないばかりか、気遣いにまで時に反発してしまうのです。
節子のことを忘れているような人には、ついつい邪険にしてしまいます。
もともとあまり健全とはいえなかった私の精神は、ますます邪気を帯びてきている怖れがあります。
そう思っていたのですが、なんと予想外の「健全」エールです。

愛する人を失うと世界が変わります。
最近、挽歌にコメントを書いてくれた方が「希死念慮」という言葉を使っていますが、その気持ちはよくわかります。
私はそこから抜け出しましたが、その思いに襲われたこともあります。
いまでも、自暴自棄的な気分がどこかに残っています。
そのため、意見が必要以上に極端に走りかねません。
健全さを維持するのは、難しいのです。
しかし健全さは生きる基本でなければいけません。
Tさんのエールを心しながら、節子のいる時の健全さを思い出そうと思います。

愛する人を失った人は、自分だけで考えていてはいけません。
誰かに心を開くことが大切です。
私はこうして挽歌で心を開いているので、もしかしたらささやかな健全さを維持できているのかもしれません。

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